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地域で活躍する卒業生

卒業生インタビュー

地域医療で活躍する卒業生

全国各地で活躍する卒業生

3千人余りの卒業生が出身都道府県を中心に全国各地において医療に従事し、地域医療の充実に貢献しています。

【へき地等の勤務・開業状況(機関別)】 (平成23年7月1日現在)

区分 へき地等 へき地等以外 合計 割合
(%)
へき地等の勤務・開業の内訳
へき地指定 へき地
医療
拠点病院
施設数
過疎 山村 離島 特別豪雪

病院 851 863 1,714 58.5 502 161 48 91 597 297
診療所 210 155 365 12.5 175 119 50 23 189
行政 12 90 102 3.5 9 1 1 2 11
大学 3 337 340 11.6 1 1 1 3
研究所・老健施設等 3 35 38 1.3 2 1 1 3
小計 1,079 1,480 2,559 87.4 689 282 100 117 598 503
開業 68 301 369 12.6 49 14 1 19 68
合計 1,147 1,781 2,928 100.0 738 296 101 136 598 571
割合 39.2 60.8 100.0 25.2 10.1 3.4 4.6 20.4
(初期・後期研修生等を除く)

ときには患者の生活も支える「診療所の先生」として楽しい日々を過ごしています

檜原村国民健康保険
檜原診療所
田原 邦朗
1983年3月卒業
東京教育大学附属駒場高校卒業
(現・筑波大学附属駒場高校)

高齢者が半数近くを占める東京の村

東京都の西部に位置する檜原村は、島嶼部を除くと東京都で唯一の村です。面積は世田谷区の倍近くありますが村の93%が山林で、わずかな平地に小さな集落が点在しています。人口は2600人弱。過疎化や少子高齢化が進行し、65歳以上の比率が40%を超えています。
現在は一人暮らしの高齢者も増えてきています。もともと関東山地の尾根伝いに街道が通っていたため、山の上には立派な大黒柱を備えたお屋敷が残っていますが、谷に沿って道路が整備された今では、そこに残っているのはお年寄りばかりなのです。往診にも行きますが、車が通れない山道に建つ家もあり、救急車の到着に30分以上かかることもあります。一人暮らしができなくなったお年寄りは、村外の家族のところに引き取られたり、老人ホームに入ったりと生活の場を移していきます。

患者の生活も支える地域医療

私が勤務する檜原診療所は、村内唯一の医療機関です。平均すると1日で約50人の外来患者があり、医科は2人の医師で診療に当たっています。お年寄りが圧倒的に多く、高血圧、糖尿病、変形性関節症が主な病気です。
へき地診療所の医師は病気を診ているだけでは勤まりません。ときには患者さんの生活を支えることも必要になります。何かあったら保健師、役場職員、近所の人、介護サービス、訪問看護ステーション、老人ホーム、病院等、使えるものは何でも使ってその人と家族を支えていかなければならないのです。こういう話をすると大変なことばかりのようですが、昔からの住人は慌てるわけでもなく、ゆったりと生活を続けています。都会とはもともと時間の流れ方が違うのです。

「診療所の先生」として毎日を過ごす

檜原診療所に赴任して20年が過ぎました。患者さんは長い付き合いの方がほとんどで、お互いに冗談を言い合いながら診療しています。また、地域のかかりつけ医として学校健診、予防接種などさまざまなことを頼まれるので、子どもや親御さんともすぐに顔なじみになります。赴任当初は幼かった子どもたちが成人し、役場に入って一緒に働くようにもなりました。年齢を感じることもありますが、そうした地域の人との触れ合いが、毎日の診療の喜びにもなるのです。
自治医科大学で学んだ地域医療の精神と、全国の卒業生たちが支えとなって今の自分があります。自治医科大学に入っていなければどうなっていたかと考えることがありますが、幸い、こうして村のどこでも「診療所の先生」で通るようになり、じんわりと楽しい日々を過ごしています。


キャリアパス
1983年4月〜1986年3月 東京都立府中病院(現・東京都立多摩総合医療センター)
1986年4月〜1988年3月 檜原村国民健康保険檜原診療所
1988年4月〜1990年3月 三宅島中央診療所
1990年4月〜1992年3月 東京都立府中病院(現・東京都立多摩総合医療センター)
1993年4月〜現在      檜原村国民健康保険檜原診療所

サイコー! 地域医療総合医としての知識・技術の習得が「支える」医療への原動力に

美郷町国民健康保険
西郷病院内科・人工透析
山下 靖宏
2004年3月卒業
宮崎県立延岡高校卒業

医師を目指す

どうして医師を目指したか? 身内に医師もおらず、病弱でもなかった私ですが、高校3年生になると医師になろうと思っていました。実用の学問として医学に惹かれたためです。しかし、地域医療への思い入れがあったわけでもないのが実状です。

いざ現場へ

臨床研修終了後、3年目で1200人の山村の二人診療所に内科医として赴任しました。生活習慣病の管理が大半ですが、緊急性を見極めたり、乳幼児健診、予防接種、特養回診、在宅往診、やることは多いです。内科・総合診療の面白さを知り興味のあることは何でも勉強しました。また、研修医時代によく指導いただいた先生の影響で、腎臓内科・透析医療をより深く勉強し、日々の業務だけでなく、継続的に研鑽を積み、知識・技量のアップを目指しました。そういった知識・技術の習得は、重症例への応用だけでなく、透析にならないための生活指導、慢性疾患管理の重要性をより一層浮き彫りにし、「予防」や「支える」医療への原動力にもなっています。また、多種多様な疾患を抱える高齢者が、いざ調子が悪い時に力を発揮するのも総合医です。その姿勢は9年目の今でも変わりません。

Heart and Art

僻地の医師=外科医のイメージが強くないですか? どんな手術でもしてしまう、そんなイメージを持っているかもしれません。しかし、医療も細分化・高度化した現代社会では、そんなスーパードクターに誰もはなれません。予防から始まり、病気の早期発見、また緊急性があれば対応可能な医療機関へ紹介・搬送する。その判断力こそが必要で、自分で全て解決できなくても、問題を解決するまでの道筋をつけるべく、社会資源の把握にも力を注いでいます。
また、月曜午前の忙しい外来の時に、ある高齢女性から「咳が止まりません」と相談され、「それはきつかったですね、夜も寝られなかったでしょう。週末頑張ったんですね」と返せるか? そんな繊細さも忘れないように努力しています。患者さんを診察し、疑問点から勉強させてもらい次に生かす、その繰り返しです。

サイコー! 地域医療

自治医大卒業後には出身都道府県で環境の差異こそあれ、義務年限として勤務をします。良医になるための決まりはありません。地域医療再興のために、自治医科大学で学び、最高の地域医療を一緒に展開しましょう。


キャリアパス
2004年5月〜2006年5月 宮崎県立宮崎病院初期研修
2006年6月〜2009年3月 国民健康保険西米良診療所
2009年4月〜2010年3月 宮崎県立延岡病院
2010年4月〜2011年3月 宮崎県立宮崎病院
2011年4月〜現在         美郷町国民健康保険西郷病院