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卒業生インタビュー 岡部竜吾(長野県)

卒業生インタビュー 岡部竜吾(長野県)

(平成27年度 取材)

岡部竜吾

長野県伊那市
国保美和診療所
岡部 竜吾

それぞれの持ち場で役割を果たしながら
住民全員で地域医療を担っていく


がむしゃらに働いた末仲間の存在に思い至る


「父が病院の事務長を務めていたことも影響したのか、子どもの頃から医療は身近な存在でしたが、地元から医師がひとりもいなくなってしまった時には、若いながらも憤りに似た感情を覚えました」

このように語る岡部竜吾が、高校時代に医師を志し、自治医科大学へと進学したのはごく自然な成り行きだった。学問だけでなく、陸上部や学園祭の実行委員と、アグレッシブに学生時代を過ごした岡部だが、自分自身が最も成長した時期は研修医時代、医師となって5〜10年目だったという。
「砂漠が水を吸うかのように、多くの事を吸収することができました。睡眠時間や食事時間を十分に確保できず、体力勝負の時期でしたが、医師としての力が伸びていくことを実感できる毎日でした」

知識や手技は荒削りだが、気力と体力は先輩医師に勝るはず―。その思いで、若手医師だった岡部はがむしゃらに働いた。

そして40歳に差しかかり、医師として脂が乗りかかった頃、現在も勤める長野県伊那市・国保美和診療所に赴任する。当時、診療所は170床を備えた老人ホームを抱える状況で、所長とはいえ、実質的に医師は岡部ひとり。責任感が強く、人一倍の負けず嫌いの岡部は、過酷な環境であればあるほど自分を奮い立たせた。関係スタッフや患者の方々に自身の電話番号を伝え、「いつでも電話をかけてきていいから」と、公私の分け隔てなく住民のために働いた。

毎晩のように電話が鳴り、夜間や深夜に患者の方の診療をした。それから2年が経つと、疲労が蓄積して神経がすり減り、岡部は眠ることができなくなった。そして、いつしか看護師に大声を張り上げるようになっていった。
「自分ですべてを抱え込んだような気になり、150%の力を出そうとしていました。患者の方々のことを考えていたのは間違いありませんが、一緒に働き疲労したスタッフの気持ちにまで思いが至らなかったのです」

このままでは破綻する―。危機感を感じた岡部は、医学生時代の恩師に相談し、ひとつの助言を得る。それは、「大切なのは、続けること。続けるために何をすべきか」。
「それ以降、夜間や深夜の診療は在宅の患者の方と、日中に診た重篤な患者の方だけに絞ることにしました。そして増員された若い医師や看護師たちを“頼る”ように心がけました。私ではなく、スタッフそれぞれのモチベーション、そしてチーム全体のパフォーマンスをいかに上げるか。これが、診療所長である私に課せられた最重要課題であると気づいたのです。それからしばらくして、看護師たちに言われました。『先生、怒らなくなりましたね』と(笑)」

「お互いさま」の精神で住民の方々と助け合う

最近、岡部は自宅に薪ストーブを設置した。そして、チェーンソーを担いで山に入り、木の伐採から薪作り、炭焼きまでを行っている。その師匠は地域住民や患者の方々だ。数年前から取り組んでいる稲作についても、住民の助けがなければ途中であきらめているところだった。その時に患者の方からかけられた言葉を、岡部は胸に刻んでいる。それは「お互いさま」だ。
「高齢者であろうが、病を患っている方であろうが、住民の皆さんは自分の“持ち場”を持っているのです。長野県は長寿で有名ですが、それは長年技術を培ってきた高齢の方々が、責任と張り合いを持ち続け、現役で農業や林業に従事しているからだと思います。このような皆さんは地域の宝であり、そのやりがいを創り出すことこそ、地域の健康につながると信じています」

時代や社会の問題点は、まず辺境の地において露呈する。岡部は、過疎と高齢化が進むこの地こそ将来の日本の縮図と考え、ここでの取り組みが未来へのヒントになる可能性があると信じている。
「人が老いることは自然であり、この土地に“発展”という言葉がふさわしいとは思いません。地域医療は決してきらびやかなものではなく、住民の一員として泥臭く“継続”していくものです。そのうえで、地道な取り組みの結果、日本の閉塞状況の打開に少しでも寄与することができれば、医師冥利に尽きますね」