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同窓会会報から 石黒源之(岐阜県)

同窓会会報から 石黒源之(岐阜県)

「自治医大 青春白書」 〜ふざけた学生時代だったけれど、充実していた〜

医療法人医源会理事長 岐阜大学医学部臨床准教授 岐阜薬科大学非常勤講師
石黒源之(岐阜1期)

日本の秘境、秋山郷研修

石黒源之写真は1年生の時の、日本の秘境長野県秋山郷での夏季研修の時の写真です。初代中尾学長、二代目高久学長、公衆衛生の神・柳沢教授、基礎課程部長・佐藤教授、学生は一期生の僕に、信州大学循環器科教授池田先生、自治医大胸部外科教授三沢先生、かの有名な北村先生、釣巻先生、整形外科のカリスマ仲田先生、村石先生、奨学金返済第一号石本先生です。そのころは何も思わなかった、単なる調子者の集まりと思っていただけでしたが、今思えば錚々たるメンバーですね。この研修で一番覚えているのは、佐藤教授が午後のミーティングになるといつも居眠りをされていた事です。居眠りするなら来なけりゃいいのにと思いましたが、私も同じような年になると、お腹がいっぱいになるとすぐ眠たくなるようになりました。壮年期を過ぎると、食後満腹になると眠たくなるんだとわかりました。会議で、60歳を過ぎた先生方(県の偉い人たちですが)をみていると皆さんよく寝てみえます。60歳を過ぎると犬と同じ生活パターンになっていくのだなあと思う昨今です。

写真は秋山郷の民宿のおねえちゃんと自治医大教授になられている三沢先生です。このおねえちゃんにも三沢先生と私はアプローチをかけていたわけで、そのエネルギーが三沢先生を最終的に教授まで押し上げたのだろうと思う昨今です。

  • 秋山郷研修
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野球部、すばらしき仲間と赤まむしドリンク

準硬式野球部学生時代、クラブは東医体での自治医大のポイントゲッターである準硬式野球部に所属しておりました。現・同窓会長の青沼先生、滋賀の井上先生、岐阜の石山先生、鳥取の渡辺先生達と毎日グラウンドで汗をかいていました。病理の横山教授、高橋先生、松本先生、二宮先生等もお元気で若々しかったですね。お世話になりました。あの広島の石川先生も初期所属していたんですよ。足が短かったので、途中芸能界にシフトされました。落ちこぼれそうなプレイヤーだった私をみんなどうにか引っ張ってくれて、卒業してもOB会に参加できることはありがたいことです。クラブも大変でしたが、渡辺けんちゃん以外は全員授業は皆勤だったと覚えています。授業に出ず、寮で勉強している事は、かえって勉強時間の短い私たちにはリスクが高く、授業に出ている方が試験をパスする効率がいい事を知っていたからです。これは体育系の生きる知恵、常識です。

信州の松本球場で、赤まむしドリンクを飲んで3塁打を打てました。その後も、青沼キャプテンらに赤まむしドリンクをもっと飲め飲めと言われましたが、飲んでも飲んでもヒットが生まれなかった苦痛の日々を思い出します。赤まむしドリンクはたくさん飲むと吐き気がしてきますのでお気を付けください。

大韓民国一周の旅

5年生の春休みに仲田先生(静岡)と、釣巻先生(福島)と、韓国周遊の旅に出ました。たしか、大韓民国内では旅費、宿泊費、食費あわせて3週間で2万8千円で済んだのに、福岡までの新幹線の往復代はそれ以上にかかった。これはどういうことだと仲田先生と帰りのフェリーの中で大笑いしておりました。韓国の東海を海岸沿いに国境をめざして3人で歩いていると、警察に補導か職務質問か何かよくわかりませんでしたが呼び止められ、半日ほど港の見える警察署にとどめ置かれ、帰りの定期バスが来るまで留保されていたのを思い出します。

またソウルの近くのユースホステルに3人で泊まっていたら、どうもそこの管理のおじさん二人の我々を見る目が不気味でした。後で考えると、その頃日本人がよく北朝鮮に拉致されていたので、今考えると拉致されていたかもしれません。が、3人とも拉致するに不適格な人間と思われたのでしょうか。何もなく終わりました。あのオヤジたちはやはり怪しい。

世界の秘境・ネパールのボランティア活動と、ウンコびちと、野崎のコンビーフ事件

ネパールのボランティア活動5年生の7月8月にネパールへBCG接種のボランティアに行ってきました。事は公衆衛生の柳沢先生のご紹介で、古切手を集めてお金に変え、BCGをネパールで接種してみえた日本キリスト教海外医療協力会の岩村昇先生の所へ研修に行きました。研修に関しては東(あずま)東京都知事、当時の日本赤十字社国際部近衛部長(現日本赤十字社社長)のお世話になりました。その時は細川元総理の弟であられるなんて、全く知りませんでした。田舎の若造でした、私は。

子供たちへBCGを接種するため、カトマンズから山の中の小村へ入っていきました。その頃、知力は弱点でしたが、体力には根拠のない自信がとてもあり、現地の人と同じ水分を摂っていました(エイヴィアンはその頃なかった)。

ある日突然下痢がはじまった。その下痢はひどいもの。水様便が10分ごとに起こります。現地では、大便は日が昇る前に、川でするのですが、下痢をしてしまうと昼間でも川でうんこをしなくてはならなくなりました。目の前を農民が通る中でうんこをするのはなかなか辛いものです。トイレットペーパーは一巻き65メートルで1日1メートルずつ使えば65日あると計算してましたが一気に使ってしまい、日本人としては手でけつを拭く、川で洗うという難しさを体験しました。ToToのウォシュレットはすばらしい。体重は4キログラム減り、このままうんこまみれで死ぬんじゃないかと思いました。

またある時、税関に郵便物が届いていると言われ、カトマンズの税関に荷物を取りに行きました。その頃つきあっていた、美しき女性からの小包でした。彼女は僕が野崎のコンビーフが好きだという事を知っていて、野崎のコンビーフを送ってくれました。野崎のコンビーフには牛の絵が描いてあります。ご存知のようにネパールはヒンズー教の国であり、神の使いの牛を食うなんて事は許されないことで、これはなんだ、牛の肉なれば没収であると言われました。これは牛のような顔をしているが日本の豚だと強く唱えたのですが、結局聞いてもらえず、彼女の思いやりは税関の廃棄箱に消えてしまいました。その野崎のコンビーフを送ってくれた女性は、現在、私の妻となり隣りで高いびきで寝ております。

ドイツ交換留学

あの頃三重県の代議士であった川崎先生の努力により、日独交換留学プログラムがありました。宇都宮市の佐野音産業の石橋社長の御推挙で、東京まで面接に行くことになりました。早朝に寮を出ないと間に合わない、バスはまだ走っていない。国道4号線でヒッチハイクし、トラックに乗せていただいて、小山駅に着きました。東京に着いたら、急いでいて慌てて物を拾うときにズボンの股が破れてしまいました。もう時間もない、縫ってくれる知り合いもいない、上野駅から代々木の会場まで私は白いパンツを見せながら急ぎました。黒いズボンのけつが破れたまま面接に臨み、そのズボンのけつが割れていることが好印象だったのでしょうか、合格となりました。NHKの青年の主張で全国大会に出た人達と共に、ドイツへ夏休み行かせていただけることになりました。

ミュンヘンではドイツの若者たちと歓談し、ビールをたらふく飲んで不覚にもゲボを吐いて多くの人に迷惑をかけたのを思い出します。

あの頃大量の日本人が排尿していたアンカレッジも、若い日本人の多くが知らないし、訪問する機会もなくなってしまった。

BüchnerのAllgemeine Pathologie(病理学総論)をドイツ語で読む会

ドイツ語で読む会この抄読会は病理学講座の高橋先生(当時講師)の下達により始まりました。将来、臨床医になってもほぼ眼先では役に立たないであろう、病理の総説をドイツ語で読むという過酷な試練を与えて、この社会の理不尽さに耐える精神力を鍛える為の抄読会でした。当番にあたるとあまりの苦しさに逃げ出したくなるのですが、文法がよく分からなくて訳せないときはごまかすか、高橋講師の援助を頂くかで長年続けておりました。まったくの苦痛で耐え難いものでありましたが、ヤクザの世界と一緒で抜けるに抜けられず続けておりました。臨床医になってそのときの知識が役に立ったかと言われると、全く益は無いかもしれません。病理の総論は臨床で役に立ったと思うことはほぼありませんが、高橋先生から押し付けられた?「耐えることを覚える」という題目からすると、現在、非常に役に立ったゼミだったのではないかと結論付けたいなぁと思いながら、高橋先生には感謝をしている今日この頃です。

BST ベッドサイドテイーチング時代

BST ベッドサイドテイーチング時代総合講義で前の方に陣取って勉強していた輩の講義の合間だ。ふざけているね。国家試験合格率全国1番は、こうゆう類の奴らが成したわけです。地元では、みなさん年とともに人格者だといわれているらしい。

ECFMGの問題集を解く会、仲田の部屋会

ECFMGの問題集を解く会4年生から仲田先生(静岡)の部屋で私と大川先生(栃木)で、ECFMG(米国医師国家試験)の問題集を解き、正解に対するコメントを英語のみで解説し合うという勉強会を始めました。毎日11時から1日も欠かさず続ける事としました。もちろん夏休み、出張等の時は休むのですが、仲田先生のリードで思う以上に真面目に継続されました。この写真は問題集終了時の記念写真です。毎回、おやつを持参し合い、食べながら問題を解くわけですが、大川先生はおやつを持って来る回数が少なくて、二人から顰蹙をかっていましたが、頭は良かったです。お前sekoi, sekoiと言われながら、私たちのお菓子を十分食べていった大川先生は、今栃木県で成功されております。

卒業式での失敗

卒業式自治医科大学の卒業式でNHKの大石キャスターからインタビューを受けました。インタビューで、「医者だけたくさん作ってもだめ、医者が僻地で十分力を発揮できるような環境作りをすることが大切です。」と、偉そうな事を言ったら、私のインタビューは全くオンエアーされませんでした。やはりああいう時は、「命を懸けて恵まれない人の為に頑張ります。」と単純明快な事を発言しないとNHKの画面には出れないんだなと学習させられました。未熟だった。その後の人生では、その技を少しずつ出しながら、言いたいことも言いながら、割とうまく生きております。

ふざけた学生時代だったけれど、充実していた。

他にも、体育ゼミ相良先生オリバー疑惑、国際交流研究会のとっておきの話もありますが、もうダメと言う同窓会事務局の鈴木さんの一声で、終わりとします。とっておきましょう。

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