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同窓会会報から 田邊翔太(島根県)

同窓会会報から 田邊翔太(島根県)

リレーエッセイ(北から南から) 〜島と山と縁結び〜

島根県立中央病院 救命救急科
田邊翔太(島根31期)

田邊翔太「縁結び」で知られる出雲大社。その社を有する島根県出雲市で初期臨床研修を初めて
から9年が経過した。

自治医科大学卒業生にとって9年目というのは大きな区切りになる。義務年限が終わり、この先のキャリアをどう歩むのかという岐路に立たされるからだろう。不思議なことに、将来を考えるときこそ、自分がこれまで歩んできた道のりを振り返る良い機会になるものだ。

初期臨床研修が終了してから、島に赴任した。人口15000人の比較的大きな離島にある唯一の総合病院(100床)で、大学の先輩3人と共に内科医としての勤務が始まった。医師3年目で右も左もわからない中、大学時代は口からあふれるほどのお酒を飲ませてもらった先輩方に医療の基礎を叩き込まれた。後になって思えば、医学知識・技術が最も成長したのも、診療に対する基本的なスタンスが出来上がったのもこの1年だった。

4年目からは後輩もでき先輩としての威厳を保つため必死に勉強した。離島という特殊な医療圏であり、内視鏡治療や急性血液浄化、麻酔や手術助手、在宅診療など診療範囲は多岐にわたり、常に学びと反省を繰り返す恵まれた環境だった。消化器から血管吻合/肺/乳房切除まで何でもこなす外科医、県外で総合診療を学んだ総合診療医、麻酔/集中治療医など多種多様な先輩と関わることで、自治医大的総合診療以外の思考・技術も学ぶことができたのも大きな収穫であった。インターネットが普及し、日本中どこにいても世界の情報を手にできる社会ではあるが、やはり実際に見て感じることが自分のプラクティスを変革させる一番の刺激になる。

島にいたのは4年間。その間に感じたのは、離島では1次救急・2次救急という枠組みは関係ないということだ。救急患者は須らく島唯一の病院に搬送され、たらい回しはない。ドクターヘリという選択肢もあるが、基地病院から到着まで20分以上はかかる。数は少ないものの3次救急対応の患者もやってくる。その診療にあたるのが当直医師と当直看護師の2名だけ、検査・放射線技師は自宅から呼び出しということもある。救急医療ができないと地域医療は成り立たない、もっと救急医療を深めたいと思うようになったのはこういう環境に身を置いたからだったのだろう。そんな思いから、県外研修を1ヶ月与えられた時には東京の高度救命救急センターを希望した。県人会の先輩が2人勤務されていたのも何かの縁だったのか、快く受け入れていただき短くも濃密な研修になった。

7年目、島から山へ転勤。過疎化の進んだ典型的な中山間地域で、東京23区よりも広い面積に19000人が暮らしている。その中心に位置する100床の中核病院は、近隣の高次医療機関まで救急車で1時間もかかる陸の孤島だった。総合診療科の一員としての勤務であったが、気がつけば後輩を指導し病院運営にも関わる立場になっていた。たかだか医師7年目の人間が診療科を、下手をしたら病院を代表して発言しなければならない重圧にさらされる。今まで医学をがむしゃらに学んできた自分に、医療者としての立ち位置を求められ、それに応じるため医学知識を学ぶ機会が減ってしまう葛藤にもさらされた。それでも、同じ年代で大病院に勤務している医師にはできない経験なのだろうと自画自賛しながら、8年目までを山で過ごした。幸運なことに、この病院は自分が生まれた故郷にも近く、昔ながらの知り合い(私の恥ずかしい幼少時代を知っている人たち)にも恵まれ思いがけない邂逅も経験できた。

そして今、島根県の救急医療の基幹である島根県立中央病院で勤務している。研修医生活を送ったのもこの病院だった。地域で救命救急の面白さを知り、遅くはなったが後期研修として義務年限の最後の1年を救命救急医として過ごすことになった。地域から見ていた「最後の砦」としての島根県立中央病院だが、実際に働いてみると色々な側面が見えてくる。というよりも、地域病院からの患者を受け入れる立場に立って初めて自分が勤務してきた島と山の地域中核病院の役割が客観視できたのかもしれない。

地域中核病院は重要な地域医療の拠点で、そこに医師として勤務することは、あたかも地域医療の最前線にいるような錯覚に陥る。しかし、地域医療を担うのは、住民であり診療所であり、基幹病院であり行政でもある。地域病院に勤務する私たちはその大きなシステムの歯車として、いかに円滑に医療を進められるかが必要だったのだろうと今は感じている。

思い返すと、いろいろな縁に結ばれながら過ごした学びと刺激にみちた義務年限だった。この9年があるからこそ、自分が自治医科大学卒業生だったと実感出来る。これから義務年限を過ごす後輩たちにもよい縁がめぐり、将来へ繋がる貴重な9年を過ごしてくれることを願ってやまない。

ドクターヘリ