コラムリレー(第1回)

山口県萩市大島診療所を視察して(渥美 一弥 文化人類学研究室)

 萩大島は、山口県萩市に属し、その沖に浮かぶ、人口788人の島である。男性361人、女性427人(2015年8月時点の最新情報)。年齢別人口は、0歳-14歳が77人、15歳-64歳が443人、65歳以上が278人である(高齢化率35.2%)。漁業人口が200人で農業人口は180人である。漁村集落環境整備事業により、水道、下水施設が整備されトイレは水洗化されている。日常品は、漁協大島支所のスーパー(本店、支店)と日用雑貨店4店で購入できる。萩市大島診療所はこの環境の中、あらゆる健康不安に対応し、急患時は、救急指定漁船にて萩市まで搬送するシステムが用意されている。

 晴れ男の面目躍如である。2日前の台風とその前後の豪雨が嘘のように晴れ上がった8月27日の朝、7時50分萩発のフェリーで萩大島へ向かう。バンクーバーからフェリーに乗って、筆者の人類学的調査地カナダ・バンクーバー島へ行く時の高揚した気持ちを思い出す。途中の島々が霞んで幻想的である。間も無く、巨大なプリンを引き伸ばしたような大島が見える。8時15分、漁村の匂いでむせ返る大島着。徒歩15分程、途中からの狭い急な坂を2、3分上って大島診療所に到着する。

 西村謙祐先生(山口33期)に挨拶し、山本雄太郎君の実習が早速始まる。1日平均すると25人弱の患者さんが狭い診療所に詰めかけている。診療所職員は4名で全員暇なく、忙しく働いている。職員の連携は非常によく取れていて、全員きびきびと充実感を伴って働いている様子がすぐに判った。西村先生は絶え間なくやってくる患者さんに一人一人とても丁寧に対応している。なるべく地元の言葉を使い、細部に渡る生活指導も行なっているようだ。午前中、山本君は問診の練習をさせてもらっていた。さすがに、西村先生と比較するとぎこちないが、高齢者に対し、優しく接している様子が感じられた。この診療所も患者の平均年齢が高い。さらに、この日の患者は圧倒的に女性が多かった。平均すると男女比は大体3:7ということである。

 診療所の入り口は幅2メートルほどあり、引き戸を開けて入る。入るとすぐ左手に受け付けがある。ぐるり診療所内をー回りしてみる。受け付けの部屋は約6畳で、その奥に細長い4.5畳程の収納スペースがある。受け付けの部屋に続いて看護師用の机が二つ並んだ4.5畳程の部屋がある。その隣がメインの診察室で6畳程である。その隣に点滴用の5.5畳程の部屋があり、そこには緊急往診用の器具が置かれている。今度は向かい側である。廊下を挟んで診察室の前に6畳程のレントゲン室がある。その隣に、5.5畳程の暗室がある。その隣に4.5畳ほどの待合室がある。その待合室は入口の右手にあり、廊下を挟んで、先程の受け付けがある。確かに広いとは言えない空間だが、必然的に無駄がなく、人々の距離が近接し、その結果、独特の「暖かさ」を感じることができる。

 坂を下ったところにある食堂で、三人で昼食を取る。地元の人が集まる場所らしい。西村先生は、他の客から絶えず話しけられる。人々と親交が厚く、信頼されている様子が伺えた。食事から戻ると、午後は訪問診療である。一軒目の家族は複雑だということで、筆者は随行を断念した。認知症の老人とその家族の問題である。帰って来た山本君に感想を聞くと、「地域医療そのものでした」という答えだった。残り3軒の、筆者が随行を許された家族たちは、患者を含めて非常に好意的で、西村先生の訪問診療に感謝している様子が伝わってきた。

 夜、萩健康福祉センター所長石丸泰隆先生(山口15期 )を交え、懇親会を開いて頂いた。ここでも母校に対する卒業生の熱い思いを感じた。自治医科大学の現状と未来について筆者も久し振りに夢を持って語った。石丸先生は、私のように医療とは無関係の一般教養部門の教員の来訪でも、母校の状況を知るために、わざわざ仕事終了後の最終フェリーで来られ、まだ薄暗い中、朝の始発フェリーで萩に帰られた。

 今回山本君の指導を担当している西村先生も患者の途切れた時間は、患者の症例について詳細に説明し、適宜に理解度を試す質問も交えた説明は、実に教育方法としても理にかなっていた。時には話題が広がり、山口県の医療の問題まで「後輩」にしっかり考えさせようとしていた。大学は、この卒業生たちの母校への思いを真摯に受け止めるべきだと強く思った。

 28日の朝も前日同様、待合室では患者たちの話に花が咲いていた。この島に生まれ、何十年も生きてきた人たちである。話題は無尽蔵である。共通の知人の名前があがるごとに「おー」と歓声があがる。 次から次へとまた別の知人の名前があがり、話の方向が変わっていく。この状況を見て、医療費のどうのこうのと言う人は、医療が何のためにあるのか考えたことがあるのか問いたい。待合室の患者たちは、大学病院で無表情に順番を待つ高齢者たちとはあまりにも異なっていた。

 よく言われている事だが、ここで一つ再認識したことがある。「病い」を得ることが、他者と結びつく話題を提供していることである。同じ「病い」の人々に、ある連帯のような感情が生まれているのだ。話題は、「病い」の状況やさらに同じ病を持つその場にいない共通の知人の話題になる事もあり、まったく別の話題になることもある。しかし、全ては「病い」の語りから始まっている。

 午後、西村先生の配慮で、山本君が単独で訪問診療に行くことになった。診療所から歩いて10分ほどのところに住むHさん90歳である。息子夫婦との三人暮らしだということだが、息子さん夫婦は坂を上った上にある煙草畑に仕事に行って留守であった。非常に打ち解けやすい老婦人で、筆者が壁に貼ってある写真を見ると、全て説明してくれた。山本君は山口方言を使って一生懸命コミュニケーションを取っていた。Hさんは、最初はどこも悪い所がないと言っていたが、山本君が血圧を測り、少し高いことをつげると、目がかすむ、咳が出るなどの症状を訴えてきた。多分、医療者の端くれとして認めてくれたのであろう。全体的には、90歳とは思えない元気な声と素早い応答を返すHさんと楽しいひと時を過ごすことができた。診療所に戻って、山本君は、Hさんに行った脈診、聴診器による診察等、行なった一つ一つについて細かい見返りとアドバイスを受けていた。

 松下村塾に象徴される教育に熱心な県民性であろうか。とにかく西村先生の間断なく続けられる指導には大学で教育にあたっている者として頭が下がる思いであった。西村先生自身も医療に関することから人間関係の問題への対応まで全て先輩の石丸先生から教えて頂いたと語った。県民性と古き良き自治医科大学がここに生きていると感じ、嬉しくなった。

 教育といえば、大島地区には、萩市福祉法人の保育園、萩市立の小・中学校がある。児童生徒数は1学年10名程度である。萩の町でも経験したが、大島に来て驚いたことは、小中学生が通りすがりの人に元気に挨拶することである。筆者のような部外者にも元気に「おはようございます」と挨拶してくれる。本学の多くの学生と何と異なることか。本学の挨拶ができない学生が卒業し、医師として地域に派遣されたとき、このように元気に挨拶する子供たちにどのような対応をするのだろうか。筆者の想像が杞憂であることを望む。

 今回も学ぶことの多い実習視察であった。現地の卒業生の本学に対する熱い思い。診療所で働く方々の機敏な動作と充実した表情。子供たちの素直さ。年長者の優しさ。そして、なによりも島の人たちの暖かさ。それらを一杯に記憶につめて、美しい大島を後にした。