自治医科大学医学部同窓会報「研究・論文こぼれ話」その5 同窓会報第60号(2012年4月15日発行)

misawa

「臨床研究」三澤吉雄(自治医科大学心臓血管外科、長野1期)

 卒業後9年目の晩秋に、母校胸部外科学教室長谷川教授から私に話があるとの連絡があり、長野市内で会食することになりました。話は単刀直入でした。“母校で心臓外科をやってくれないか!”突然の内容でしたので面食らいました。心臓手術の経験は呼吸器外科を含めて初期研修中の数ヶ月だけで、その後は整形外科や消化器外科系を中心とするいわゆる外科系総合医としての臨床経験しかありませんでしたから、その点に大きな不安がありました。その後紆余曲折はありましたが、卒業後11年目の4月から母校にお世話になることにしました。
 赴任当時、教育や研究なんてしたことも無い私はひとり戦場に放たれた様に感じました。臨床実習を担当せよと指示もありましたが、立場上臨床で多くの時間を取られる毎日でしたので、空いている時間に一緒に手術を見学しながら、手術手技や心筋保護について説明する位がせいぜいでした。学会で発表を聞いても、最初の2〜3年は何が新しい発見なのか?どの点が珍しいのか?どこに意義があるのか?などは全く分からない状況が多々ありました。学会発表前の医局予演会では、私の発表内容に対して先輩からレジデントよりも出来が悪いなどと酷評されもしました。厳しい環境ではありましが、何とかなるものです。提出した論文の査読者から自分では気付かなかった問題点などのご指摘もあり、論文提出は大変有意義でした。このような状況下で学会発表や論文発表をしていると、数年で先輩教室員の業績を超えることができました。臨床論文が基本でしたが、赴任後5年間で筆頭者としての論文は和文19編、英文2編が発刊されました。筆頭者論文が10編を超えると論文を書くコツが掴めてくるため、スピードが上がった感じがしました。また“考察”で悩んだ時は、日を変える等により思いがけなく“旨い考察”が書けたりもしました。
 日常業務の多くは心臓外科領域の臨床の場で費やしておりましたので、臨床経験の論文化によって学位を取ることにしました。当時大動脈弁閉鎖不全は心機能が一定度増悪した状態で弁置換を施行する場合に、心機能が回復するとの論文と回復しないとの論文に二分されていました。いずれの立場の論文も術前と術後の一時期のみの比較検討でした。術前と術後1、3、5年と経時的に観察した私の論文を概略すると、大動脈弁閉鎖不全は手術時期すなわち左室の機能障害が一定以上増悪してからの手術では、弁置換術後心機能は回復するもののその回復が遅れるとするものでした。この論文は日本胸部外科学会雑誌に投稿致しましたが、査読者から、“掲載すべき論文である。”とのお褒めをいただき、その後の臨床論文へのモチベーションが上がりました。臨床経験等を文書化すなわち論文化するには、先人らの経験などを知る必要があり多くの論文を読まざるを得ませんので、必然的にその分野での知識も深くなります。この学位論文も契機のひとつですが、心臓血管外科の中でも臨床では弁膜症を特に専門分野とすることにしました。冠動脈バイパス術に多くの心臓外科医が興味を示していた時代でしたので、言わば当時は弁膜症を専門とする外科医はアウトサイダーだったかもしれません。ところが、その後虚血性心疾患に対する治療はいわゆるカテーテル治療が全盛となり、弁膜症は高齢化や術後予後の判明や弁形成術が出現して早期手術が望まれる時代になり症例が増加し、胸部大動脈手術は手術成績が向上し手術症例が急増するなど、手術対象症例が変化してきました。
 母校にお世話になるにあたって、留学を一つの目的としておりました。海外文化に直接触れる・英語能力の向上・できれば研究も、が目的でした。MontrealにあるMcGill大学に縁あって1年10ヶ月留学し、神経や血管を温存した広背筋を心臓に巻いて心拍動に同期させて収縮させ、不全心を補助する術式の基礎研究を行いました。この手術は欧米で数百例以上臨床応用されましたが、日本で開始される前に残念ながら世界的に中断されてしまいました。実験室での研究に基づいた論文は留学中の経験から帰国後に犬を用いた研究程度でした。生後9-10週の子犬の心臓に広背筋を被覆し、6ヶ月後に被覆した広背筋が成長し、左室圧ー容量曲線で確認すると心臓の拡張機能を障害しないとの内容です。この論文は心臓血管外科分野では権威有るAnn Thorac Surgに1998年に掲載されました。
 留学後は英文による論文作成を基本としました。留学中の経験に基づく研究以外は全て臨床研究です。人工弁や人工弁輪移植患者の予後調査や左室のリモデリングの研究から体外循環によって惹起される生体反応・開心術後合併症に関する研究、また症例報告など広い分野での論文発表としました。やがて国内外雑誌から他の論文に対するInvited Commentaryや査読を依頼され、また総説論文を求められるなど、学術活動に幅が出てきました。また、自分が書いた論文に関係する内容の論文にはLetter to the Editorとして自験例との比較でコメントを投稿することも多くなりました。但し、外科医が臨床経験からもたらす論文ですので、いわゆるimpact factorから判断すると基礎系の方々の論文とは比べ物にはなりません。
 現在は、依頼される総説論文などは筆頭著者として書いていますが、Corresponding Authorとして、教室員などの論文作成のお手伝いをしています。また “臨床論文を書こう!“のゼミ受講学生(4,5,6年生)に当科で経験した症例を症例報告としてまとめることを勧め、この2年間で4編(内1編は英文)が発刊され、2編が掲載決定、1編が査読中、1編が作成中の快挙です。これは研修医や教室員にも刺激になっているようで、彼らの学術活動が急に活発になりました。
 卒後10年間は地域での医療活動に従事し、11年目から心臓血管外科分野でもがき、卒後23年目の2001年からは心臓血管外科学部門を担当し、今年還暦を迎えます。

(次号は、自治医科大学循環器内科学 苅尾七臣先生の予定です)


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