自治医科大学医学部同窓会報「研究・論文こぼれ話」その50 同窓会報第105号(2023年7月1日発行)
「共生関係について考える」
自治医科大学医学部 感染・免疫学講座 細菌学部門 宮永 一彦
第50話という記念すべき回であることを全く意識せず、呼吸器内科の澤幡美千瑠先生より話題提供のバトンを受け取りました(46や48という数字には何故か敏感なのですが…)。
執筆の段になり、これまでに先生方の高尚な話題を拝読し、責任の重さを感じております。とは言いましても、示唆に富む内容の話題を小生が提供できるはずもなく、医学部には珍しい工学系出身の研究者のこぼれ話として気楽に読んでいただければ幸いです。
私は2022年1月に本学に異動して参りました。東京大学(化学生命工学専攻)にて学位を取得後、前職の東京工業大学(生命理工学院)で、主に生物化学工学、環境微生物学を主な専門分野とし、微生物を用いた排水処理・水環境保全、乳酸菌による免疫賦活化、バクテリオファージ(ファージ)による病原菌の制御、など、主に微生物の有効利用に関する研究をしてきました。医学部では“微生物≒黴菌、病原菌、ウイルス”といったどちらかというと負のイメージある中、たまたま “ファージ”および“病原菌”という共通項でご縁があり、細菌学部門で引き続きファージや腸内細菌の研究を続けさせていただいております。
ファージも細菌に感染するウイルスなのですが、我々動物には感染せず、地球上には細菌(1030)以上のファージが存在していると言われています。仮にファージの大きさを細菌の大きさの1/10程度である0.1 μmとし、1030のファージを一列に並べますと、1023 m=1020 kmの長さになります。1光年が9兆5000億(およそ10兆(1013))kmですので、1,000万光年とまさしく天文学的数字になり、我々の生態系において決して無視できない存在であります。ファージは宿主細菌の爆発的増殖を抑え、生態系の均衡を保っていると考えられています。このように、宿主を厳密に認識し、感染・増殖・溶菌といったライフサイクルを持ち、薬剤とは全く異なる殺菌機構を有するファージは、近年、抗生物質が効かない薬剤耐性菌の脅威が叫ばれる中、ポスト抗生物質の一つの切り札として注目されています。是非、薬剤耐性菌の制御に向けたファージ療法を我が国でも実現させるために、微力ではありますが尽力して参りたいと思っております。
また、前職では、東南アジア最大の湖であるトンレサップ湖(カンボジア)の水環境保全に関するプロジェクトにも携わっておりました。そのため、途上国における公衆衛生や地域医療の厳しさも肌で感じた経験があります。トンレサップ湖はメコン川水域における水量の調整的な役割を果たしており、雨季で琵琶湖面積の約20倍に広がり、乾季においても4-5倍の広さという広大な湖です。湖で収穫される淡水魚はカンボジア国民の重要なタンパクの供給源になっていると同時に、過去の激しい内戦や隣国との戦争による難民が現在も100万人以上、水上家屋で生活しています。当然、生活用水と生活排水は同じ湖水で繋がっており、乾季には雨季に貯めた雨水を利用するなど、衛生状態は決して良いとは言えない状況です。飲料水は膜ろ過したものを購入しているものの、炊事、洗濯、洗浄等の生活用水は簡易ろ過、凝集沈殿、煮沸といった処理のみで使用するのが一般的な状態でした。そのような住人に、危険性や安全性をいかに分かりやすく数値として示し、手洗いの重要性や殺菌・不活性化の条件や必要性を伝えるか、カウンターパートの研究者たちと共に研究、啓蒙活動を行ったのは非常に貴重な経験です。また、首都プノンペンにおいても病院の多くは我が国のような医療環境レベルには達しておらず、地方や田舎では診療所がとても少ない状況でした。その結果、新生児死亡率が先進国よりも高いという現実もあります(カンボジア1.3%、日本0.1%未満 [2022年版世界保健統計])。しかし、子どもたちは屈託なく笑い、目を輝かせながら学校で学んでいたり、若い人たちも真剣かつ懸命に働いていたりする姿を目の当たりにし、幸せは皆が健康や安全が保証されていることであって、必ずしもお金や物資ではないことを改めて思いました。まさに本学の建学の精神である「医療の谷間に灯をともす」ことにも直に繋がっているのだと感じております。
更に、教育も非常に重要であることも痛感しました。カウンターパートの研究者はカンボジア国内の理科系トップの大学に所属しており、主に日本の国立大学や欧州(植民地時代の影響もありフランスやベルギーが多い)の大学で学位を取得していました。しかしながら、サンプルを数多く取得すること自体が研究の目的になっているメンバーが多く見受けられました。当然、水平線が見えるほどの広大な湖における採取場所、季節、時間、培養条件、n数…と考えると、まさに指数関数的にサンプル数が増えてしまい、切りがなく真剣に困っておりました。そこで、いかに必要最小限の実験計画をたてるか、限られた試料を用いて得られた実験結果からどのような統計解析や考察をすべきか、を伝えました。もちろん、彼ら彼女らに限ったことではなく、今後、大量に溢れる情報の洪水から、いかに必要な情報だけを効率よく取り出すか、という我々の状況にも通じると思います。多くのサンプル、データを用いてどのような対処法や関係性があるのかを導き出すのが重要であると考えております。更には、既に議論が巻き起こっているAIについても、AIを用いると結論を出す効率は劇的に向上しますが、そこにAI自身の意見やポリシーはないため、責任も個性も曖昧です。ですので、今後は我々の「人間味、人間らしさ」を常に失わずにAIをうまく活用しながら共存していくべきなのかな、とも思います。AIを人間が支配するのでも、AIに人間が支配されるのでもなく…。そう言った意味では、人間とAIの共生関係は、細菌とファージの関係にも似ていなくもないか…と思う今日この頃です。
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(次号は、自治医科大学医学部 感染・免疫学 感染症学部門 学内教授 笹原 鉄平先生の予定です)