自治医科大学医学部同窓会報「研究・論文こぼれ話」その51 同窓会報第106号(2023年10月5日発行)


ちょっと毒を吐いてみた

            自治医科大学医学部 感染・免疫学講座 感染症学部門 笹原  鉄平


 

細菌学部門宮永先生よりご紹介頂きました感染症学部門の笹原鉄平です。先日、CRSTメンバーとして支援した症例報告(Picture)がInternal Medicine誌にアクセプトされました。新規性の点でかなり不利な内容だったのですが、熱心な申請者と二人三脚で何度もWeb会議や原稿のやり取りを経て、満足行くものに仕上げることができました。この申請者はたまたま学生時代からよく知っている方ということもあり、論文作成の基本的な部分から投稿・修正作業なども含めてご指導させて頂きました。アクセプトの連絡が来たときには、自分の初めての論文の掲載通知を受け取った記憶が蘇り、とても晴れやかな気持ちに。

さてそんな中、ちょっと気になることがありました。申請者は学生時代から優秀で努力家で、現在も義務年限で精力的にご活躍です。そんな彼でさえ、これまで論理的に組み立てて文書を組み立てる指導はほとんど受けてこなかったようなのです。確かに、医学部では他学部のように卒業論文を書くこともありませんし、試験も多肢選択型が多く、突き詰めてロジカルに書く環境に恵まれているとは言い難いでしょう。また臨床現場に出てからも、ビギナーのうちは「論理的にじっくり考える」よりも「パターンで早く多く処理する」ことが求められる業務が大部分を占めるため、彼のように「研究しよう」「論文を書こう」というモチベーションでもないと、なかなか「本腰を入れて科学的・論理的に考え、組み立てる」チャンスに出会えないのかもしれません。(彼が所属していたのは全国でも有名な研修病院でしたが、論文作成の指導ができる指導医が少ない、と伺いました。)卒業後のやる気をCRSTがインスパイアするのと同様に、個人的には「医学部教育の中でもっと科学的思考・論理的思考を養うために論文を書く機会を提供する」必要性を感じております。(何をいまさら、と思われる先生方も多いかと存じますが、お恥ずかしながら私はつい最近になってこの考えに至りました。)CRST事務局担当の公衆衛生学阿江教授がフリーコースの取り組みとして学生と一緒に論文を書いておられますが、非常に重要な取り組みと思います。

また「科学的思考・科学的吟味」というテーマでは、コロナ禍の中で思うこともありました。一般社会の中で「科学的エビデンス」という言葉が多用される文脈を、これまでは「がん治療」の領域以外であまり見かけたことはなかったのですが、この3年を通して用語としての市民権を得つつあるように感じます。一方、様々な場面で使われるようになったために「科学的エビデンス」という言葉の誤用も目立つようになりました。一般市民なら仕方がないにしても、医師の中にも「科学的エビデンス」がもつ曖昧さ、もしくはエビデンス創出の限界と言いますか、エビデンスというものの本質の難解さを理解されていない方が結構いるんだなぁ、と気づかされた3年でもありました。憶測になりますが、医師の多くはきちんとした「議論」に慣れておらず、その元凶の一つが臨床系の各学会にあるのではと思っています。多くの医師にとっての研究(症例)発表のデビュー戦が国内学会(とくに地方会)でしょう。そういった発表の座長を引き受けることもありますが、頭を痛めるのが「十分に練られていない発表の担当をさせられる」ことです。誤字脱字レベルのものは今回置いておくとして、研究として体裁が整っていないものも目にいたします。暖かく見守るのが通例だそうですが、ご本人のためにならないので私は座長として研究としての問題点や、こうするともっと良くなるといったコメントをするようにしています(心の中で「それってあなたの感想ですよね?」とツッコんでいますが。)しかしそういったケースの多くは、研究指導体制も十分構築されていないようで、「共同演者」が出てきてさらに話が嚙み合いません。フロアから質問が出てきたと思っても、科学的・建設的議論は起こらず、発言したがりの目立ちたいオジサン(どうでも良いマウント発言が多い)、本質とは関係ない重箱の隅をつつく常連クレーマー、そして謎のポエマー・・・こんな、慣れあい学芸会みたいなの、やる意味あるの?と言っていたらあまり学会の仕事は回ってこなくなりました(笑)。(まともな国内学会もたくさんあると思いますがご容赦を。)そんな環境は教育上良くないと思うわけです。毒づいてきたので、今回はこの辺にしておきます。ありがとうございました。

 

(次号は、自治医科大学医学部 感染・免疫学 保健センター 学内教授 小川 真規先生予定です)



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