救命救急センター間藤 卓 教授のコラム
日々の狭間、医療の谷間
自治医科大学救命救急センターで、日々、物事の狭間を覗き込み、あわよくば医療の谷間に灯をともす…

日々の狭間、医療の谷間…

2017.04.05 間藤 卓(Takashi Mato)

自治医大の救命救急センター/救急医学講座の日々で見たり聞いたり考えたりしたことを、つらつら書いていこうと思うのだが、とりあえず題名は「日々の狭間、医療の谷間」としてみた。ご存じのように、"医療の谷間"ということばは、自治医科大学の校歌の「医の谷間に灯をともす」という文言へのリスペクトだ。言わずもがな自治医科大学の建学の精神であり、朝夕、校歌の銅板の前を通る度に含蓄のある言葉だなあと感じている。
 

自治医科大学附属病院
 
とはいえ、もはや今日の日本においてそうそう"医療の谷間"はなかろう・・・とおっしゃる向きもあるかもしれない。


たしかに昔は、「あそこの地域には病院がない」とか、「あそこの村には医者がいない」的に、医療の谷間はそこかしこに存在していた。そのようなわかりやすい"谷間"は、自治医科大学を始め多くの方々の努力により、以前に較べれははるかに改善されたのは確かだ。では、"医療の谷間"は無くなったのか?、すでに過去の言葉か?といわれればそうでもない気がする。

たとえば「内科はあるけど、脳外科を診てくれる病院がない」とか、「昼間は診てくれる病院があるけど、夜はクリニックなので医者が居ない」とか、さらには、「二次はもう手一杯・・・」などは、あまりにも普段から聞いている言葉である。そういう医療の手薄い部分というか、医療の凹みというか、こういうのも一種の谷間といえる訳だから、そう言う意味では、依然として医療の谷間は存在する…それも、以前より複雑で分かりにくい形で、と言うことが言えるのではないだろうか。そして今後日本の経済や医療がshrinkしていくなかでその亀裂はむしろ深まる可能性があるのでは無いだろうか。

決してこれは他人事ではない。「◯◯科は頼んでもなかなか診てくれない」とか、「きょうは□□先生なので、全部急患は断っちゃう・・・」なども、ある意味"医療の谷間"なわけで、そういう意味では大病院の中ですらそこかしこに谷間があるといえる。うっかり、それを知らないで谷間にはまり込むと、とんでもないところで診察がスタックしてしまったりするのだ。
つまり否応もなく我々は、これまでも、そしてこれからも"医療の谷間"について考え、そこにどうやって灯りを点すべきかと考え続けなければならないのではないだろうか。

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かといって、あまり谷間、谷間、と気にしすぎていると、これまた別の罠に捕らわれそうな気がする。これは端的に言うと、『医療の谷間を覗くとき、医療の谷間もまたお前を見返しているのだ』と言える気がする。もちろんこれは、

Und wenn du lange in einen Abgrund blickst, blickt der Abgrund auch in dich hinein.
And if you gaze long into an abyss, the abyss also gazes into you.
“おまえが長く深淵を覗くとき、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ。”
をもじったものだが、そう的外れでも無いように思っている。
 
ちなみに、その文言の前にニーチェ先生は、

Wer mit Ungeheuern kämpft, mag zusehn, dass er nicht dabei zum Ungeheuer wird. 
He who fights with monsters should look to it that he himself does not become a monster. 
“怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。”
という、分かりやすくありがたい忠告も付け加えてくれている。

深い谷間を軽々と越えられるようなスーパードクターなれる訳も無く、病院や病院の周囲のどこに谷間があるかを気にしながらおそるおそるうろつき回る日々だが、かといってあまり谷間を気にしすぎて谷間に捕らわれたCreatureにだけはならないように気をつけているのだ。

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