Vol.27  No.11 2008 


読書の秋に思うこと

さいたま医療センター総合医学第1 加 計 正 文

 日本の四季は美しいといわれながら最近ではその季節感が少なくなってきたともいわれる。これから紅葉の季節を迎えるが桜と同じくらい紅葉が好まれているのも季節感を味わいたいからだろう。しかし、自分としては、今年は忙しくて紅葉狩りなど難しいかもしれないと少しひがみっぽく思ったりする。今のこの紅葉の季節になると、英国に留学していた頃(オクスフォード大学の生理学研究所でもう20年以上も前だが)を思い出す。英国は山が少ないので紅葉は日本ほど鮮やかではないが、10月上旬から色づきはじめる。緊張感が染み入るような冷たい風を頬に感じるとしゃんとした気持ちになる。ひんやりとした静かな朝に、薄く焼いたカリッとしたトーストとベーコン・エッグを香ばしいコーヒーを飲みながらとる英国風朝食は結構いける。
 最近では大宮ソニックシティの日フィルの定期演奏会を楽しんでいるが、英国在住の頃は近くの教会でアマチュアのコンサートをよく楽しんだ。小さな教会で、観客も10数人程度のミニコンサートで室内楽の演奏であった。休憩時間にはコーヒー、紅茶とビスケットなどの振る舞いもあり、気楽に音楽を楽しめる雰囲気があった。日本ではそれぞれの町に立派なコンサートホールがあるが、そのような大きなホールで、静けさと、小さな咳が時折聞こえる緊張感の中、荘厳かつ完璧な演奏を聞くのも良いが、このようなミニコンサートで演奏家の指使いによる玄のこすれる音を聞きながら、その熱演している姿を目の当りにして鑑賞するのも結構だと思う。
 最初、日本人は我々しかいなく(いや、他にもたくさんいたのだが、知らなかっただけ)、たまに町で日本人らしい人を見かけると、話し掛けたりして日本語会話を楽しんだ。20年たつとイギリスも日本もその当時からすると環境的にも大きく変わっているはずであるが、人間性や国民性などは変わるはずもないと妙な確信をしている。変わらないことへの安心感もある。バスや汽車の運行時刻はあってなきがごとしで、時刻どおりに来ないことが多い。イギリスではそれが普通に感じるが、日本ではそんなことは許されない。だからこそ先日のJR福知山線の大事故が発生したのだろう。英国でもし時間どおりにバスや列車が運行されるようになった時は意識革命が起こったときかもしれない。
 英国人と日本人の間で異なる興味深い違いは他にもある。エレベーター等に乗るとき他の人と目が合うと知らない人でもいかにも知人であるかのように口をキュッと横に引いた表情をして軽い挨拶を交わす。あなたを無視していませんよという思いやり的な仕草である。日本でそんなことをするとストーカーと間違われる。大学内で学生にエレベーターであっても知らんふりされるとちょっと寂しい。英国では女性がバスから荷物を持って降りようとすると、他の男性はそれを手助けする。日本ではそのような男は泥棒と間違われる。ドアを開けて女性にお先にどうぞという表情をすると日本では変な顔をされることが多い。廊下を歩いていてすれ違いざまに少しよけなくてはいけないような時「すみません」と小さな声でいうと気が弱い人といわんばかりの表情をされる。英国の病院では10時と3時にはティータイムがあり、患者にお茶が配られていた。日本の病院ではみかけない。
 ある時、友人から電話があり、1人の英国人が医学(内科)について質問したいことがあるので相談にのってくれないかという依頼があった。気軽に了承して約束の日に私の自宅で会った。彼は、70歳ぐらいの元気な人で手にある論文のコピーを持っていた。それは我々日本人臨床家には慣れ親しい「医学のあゆみ」という雑誌のコピーであった。この老紳士は実は、奥様が病気でしかも重い肝臓病に患っていて、1人でその治療法について図書館で調べていたらこの「医学のあゆみ」の日本語論文に到達したらしい。オクスフォード大学図書館では日本語の論文の蔵書もあり調べることができる。当時はPubMedもないので1篇の論文を探すにも相当な苦労と時間を費やされたことであろう。その論文の内容はアミノ酸輸液により回復が見られたというもので、医学の知識もなく、日本語を読むことができないこの老紳士は英語のタイトルからだけで内容を想像し説明してほしいという希望で私のところに来られたのであった。2時間程かけて私は内容を説明し、彼はその説明から妻の治療に役立つかどうかについて必ずしも満足はしていなかったように思えたが、一応の納得はされたようで丁重にお礼を述べられて帰っていかれた。重病を患った愛妻に対して何ができるかということをこの老紳士は常に考えて生きていこうとしているのだなと思い感動したことと、図書館にいろいろな本が揃えられていることのすばらしさを感じた。今ではインターネットで簡単に調べることができるが図書館を通じた人と人との出会いの感動が少なくなっているとしたら寂しい。


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