Vol.27  No.8 2008 


癒しを求めて

中央手術室 主任看護師 根 岸 奈 美

 わたしが小学生のころだろうか。あるCMで苔の生えた大きな神秘的な樹木を目にした。のちにこの大きな樹木は屋久島に生息する屋久杉(であろう)だということをガイドブックで知った。いつかはこの目で見てみたいと思うようになった。
 わたしの実家の裏手には標高200mほどの小さな山があり、わたしはその山を「遊び場」として利用していた。子どもの頃はその山を登ることが冒険で、大人の知らない場所を見つけ、立派とはいえない秘密基地を作り通いつめた。そこには自分だけの空間があった。夏休み、時間を見つけてはおにぎりを持参し、秘密基地に何度も足を運び、高く澄み切った青空を見あげながらおにぎりを食べた。そんな経験からか、緑が萌える山や森、澄んだ川、青い空、白い雲などを見ると心が癒される。
 3年前、10年来の友人が「一緒に屋久島に行こう」と言ってくれたのがきっかけで屋久島登山旅行計画を立てることになった。実は山登りの経験はなかった。自然散策や木曽路の峠を越えた程度である。屋久島のガイドブックを見ると、「本格的な登山の準備を行ったほうがよい」と書かれており少々とまどった。当初の計画では往復10時間と6時間のコースを計画立てていた。体力のないわたしでも大丈夫だろうか。多少の心配をよそに準備をはじめた。
 出発1週間前、わたしは車の事故を起こした。幸い軽い鞭打ち症で済み、生活にはなんら支障もなく登山もできるだろうと考えていた。しかし、友人の配慮で6時間コースの白谷雲水峡だけ行くことにした。
 7月下旬、出発2日前「屋久島地方は梅雨明けした」というニュースが飛び込んだ。わたしの胸は躍った。羽田空港から飛び立ち鹿児島空港で乗り継ぎ、ようやくたどり着いた屋久島は見事な快晴だった。さらにわたしの胸は高鳴った。強い日差しの中、わたしと友人は日焼けを気にしつつ(年頃なので・・・)レンタカーを借り、車を走らせた。周囲132kmの屋久島は、ちょうど良いドライブコースだった。島を一周する主要な道路があり、時間に余裕があったため、ホテルへは遠回りだったが左回りに車を走らせた。左手に聳え立つ山々、右手に青く澄んだ海を眺め、海風を感じながらドライブを楽しんだ。のんびりとした時間を過ごすのはいつ以来だろうか。わたしたちは日ごろのストレスを発散するかのように話に花を咲かせた。しばらく進むと道が狭くなった。どうやら西部林道に入ったらしい。ここは世界遺産地域で、屋久猿や屋久鹿が生息し、ときどきその姿を林道にも現れた。わたしは木々の間を移動する猿や鹿を見つけることが得意なようで、先に見つけては彼女に知らせた。彼女は少し悔しがっていたが、猿や鹿を見つけるたびシャッターを切ることに夢中になった。2時間程度のドライブののち、Iホテルに到着した。
 翌朝7時、ホテルロビーに集合した。すでにガイドは到着していた。暑い日差しが照りつける快晴だ。ガイドはわたしたちを車に乗せ、白谷雲水峡へと出発した。白谷雲水峡入口に到着すると気持ちは最高潮に達した。初めに大きな岩が出迎えてくれた。それを上らないと山道にはたどり着けない。下に川が流れる丸みを帯びた岩の上を、両手を使い登ると白谷雲水峡の山道にたどりついた。冷たい水しぶきを上げる川を横目に、ガイドは屋久島のことや屋久杉の由来、島に生息する木々や花、苔などの植物を詳しく教えてくれた。山の空気は澄んでいて冷たい。途中こもれる光が苔生した木々を美しく見せていた。神秘的な雰囲気をかもし出す島の神である屋久杉を、わたしたちはこの手で抱きしめ感動してはシャッターを切った。子どものころに見たCMと同じような大きな杉が幾重にも聳えたつ。あの頃に見た杉はどれであろうか。地を這う木の根に注意しながら、斜面を登っていくにつれ息は上がるが、山から下りるしっとりとした空気に包まれると気持ちは安らぐ。ガイドは、沸き出でる沢の水を汲み、コーヒーを煎れた。普段飲んでいるコーヒーとは格段に違う。贅沢な味だ。冷え切った身体に温かさがしみわたる。生きている喜びを感じた。お昼休憩を入れしばらく歩いたのち、ようやく最終地点のもののけの森までたどり着いた。その瞬間、わたしたちは息を呑んだ。そこは靄のかかった斜面一帯に苔生したもののけの舞台が広がっていた。屋久鹿が出迎えてくれている。わたしたちはベンチに腰かけ、静まり返った森をしばらく眺めて深呼吸した。苦しかったこれまでの道のりも一瞬にして気持ちを晴れやかにしてくれた。そして、至福のひと時がながれた。


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