Vol.28  No.12 2009 


雑誌の重み

さいたま医療センター 内分泌代謝科教授 石 川 三 衛 

  今年度からさいたま医療センターの図書委員長の責務を仰せつかり、これまでとは違った形で図書館通いをするようになった。とはいっても、私が直接口をはさむことはなく、ただ静かに新着雑誌を見る中で、周囲のことに気を配るようになったくらいのものである。卒後研修医をはじめた当時病棟の仕事に追われる中で、僅かな時間を作って図書館に駆け込んで雑誌を読んでいた頃に比べて、新着雑誌が激減していることを改めて感じる。電子媒体の雑誌が増えた結果、top journalsを中心に冊子体がなくなって、雑誌コーナーでの胸の高まりはもはや過去のものになってしまったからである。
 私は若い頃から、具体的にはシニアレジデント2年の頃からLibrary Noteと称して新着英文誌の中から自分の関心のある論文を記録してきている。英文誌は約50種の雑誌をリストアップして、各々の雑誌の目次を開き、私の仕事に関連する論文、新しい話題を提供する論文、他分野の仕事で私の仕事に応用できそうな論文を中心に記録してきた。これが楽しみで、毎週1回新着英文誌コーナーを訪れて1-2時間過ごすことを20数年続けてきた。しかし、この数年図書館に通う気持ちは薄れ、行かないことが多くなり、今ではほとんど行かなくなってしまった。これに引き換えて、自分の部屋のコンピューターで図書館からの新着雑誌が手に取るように把握できることを知り、週に2-3回インターネットを介してこれまでの50種類の雑誌をチェックするこのごろである。これまでに私のLibrary Noteは計16冊に達した。
 図書館の新着雑誌コーナーに出かける時は気分がワクワクしたものだ。私の仕事の関係で、同じ仕事をしている人がいないか、先を越されていないか、拮抗したLabからの新しいデータが出ていないかなど様々な思いが交錯するからである。また、新しいページをめくる感触が何ともいえない魅力となる。大切な論文はコピーして精読し、ファイルに収めてキャビネットに保存してきた。最近の事情は一変した。インターネットで当該の雑誌を開くと、スクロールして論文タイトルを見ながらLibrary Noteに記載する。読みたい論文はPDFファイルで開くとその場で液晶画面に現れる。場合によってはプリントを押すとコピーが容易に得られる。しかし、チェックしたはずのタイトルも、論文の内容も何となく夢の中のように淡いもので印象が薄い。私の加齢による記憶力の減退が忍び寄ってきたためか、すぐに忘れてしまうような気がしてならない。図書館に足を運んで利用した時代が懐かしい。新しい知識を求めていた当時、雑誌から探し出したすばらしい論文は今でも記憶の中に残り、研究者、雑誌名、発行年などすらすらと出てくるものが多い。電子の時代に時代遅れの私には、手間をかけて論文を探すことが人間味あふれる図書館の姿に思える昨今である。

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