Vol.29  No.2 2010 


レポートが書けない

看護学部教授 成田  伸  

  「レポートが書けない」が大学時代の私の悩みだった。某栄養大学からの非常勤講師が図書を指定して出したレポート課題がうまく書けず(これは同期が共通してそうだった模様)、非常勤講師が「これはレポートじゃない!」と憤慨したと伝わってきた。誰も教えてくれないのに!と学生側も憤慨した一騒動が強烈な印象で残っている。
 そんな不全感を持ちながら、大学を卒業して3年、勉強したくてたまらず、京都にある仏教大学の通信制に編入学した。送られた資料は結局手付かずで修了することもできなかったが、たまたまこの夏、看護学校の教員になった私は2週間の長期休暇を取ることができ、夏季スクーリングに参加することにした。京都近くに住む同級生のアパートに転がり込み、ほぼ2週間、毎日1時間弱かけて通学した。社会福祉系の通信制…ということで、同じクラスで学ぶ学生には看護職が多かったが、福祉系の職員、全盲の学生、車椅子の学生、シスター姿の方もいた。みんな社会経験豊富なつわものたちだった。
 楽しかった。教師の話しを聞き、教師が紹介してくれる本を買い、次から次にと読みまくった。学生それぞれの経験に基づくディスカッションは終わりなく続き、そして刺激的だった。だんまりの学生なんか皆無だった。全盲の学生の点字タイプの早さに驚き、車椅子の階段移動をみんなで助け、児童養護施設では子どもたちの苦悩を教えてもらった。その一つひとつがいとおしくなるくらい楽しい毎日だった。そしてお決まりのレポートという課題。
 書けなかった学生時代の記憶がチラッとよぎった。しかしレポート作成には全く困らなかった。教師の講義を聞き、その具体的事例を見学して学んだ。また見学できない多くの事例や考え方を、読みまくった本と同級生とのディスカッションから学んだ。そして私自身の日々悩みながらの3年間の看護職としての経験があった。短期間で大量の情報が私の頭に入ってきた。1時間弱の通学時間があり、ボーッとする時間になった。そうすると、あるときふっとレポートに何を書けばいいか浮かんできて、その根拠となるデータを読んだ本から整理すると、すらすらと苦もなく書けたのだ。
 私はレポートが書けたこと以上に、学生時代は書けなかったのになぜこのとき書けたのかに大いに興味を持った。まずレポート作成にあたって収集した情報が豊富だった。学生時代には教師が推薦するたった1冊の本を読み、そうねと納得し、それで何をレポートするんだろうと思い、先に進まなかった。あれは情報量が少なかったんだと実感した。夏季スクーリングで得た情報は本当に量が多かった。しかも量が多かっただけではない。その情報は、一方で教師や本が教える抽象的なものであり、一方で私自身の経験、教師や同級生の経験に基づく非常に具体的なものだった。そして、私自身の経験からきた実感と教師や同級生とのディスカッションは具体と抽象とをつなぐ役目を果たしてくれた。
 外山滋比古氏の「思考の整理学」(ちくま文庫)がベストセラーである。「醗酵」の章に、読むことで醗酵素を作り、”寝させ≠ト発酵を待つとある。夏季スクーリングでは、情報を溜め込み醗酵した結果、レポート完成に至ったといえる。”寝させ≠ト待つほどの時間はなかったが、私の場合、たぶん3年間の臨床での経験が発酵の素地を作っていたものと思う。
 そして今、日々四苦八苦している。私の担当となった学生の「レポートが書けない」悩みに付き合うことに。

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