Vol.29  No.3 2010 


人とのつながり

大学院看護学研究科2年 鈴 木  和  

  昨年はワールド・ベースボール・クラシックの優勝、今年は冬季オリンピックやFIFAワールドカップが開催される年でありスポーツへの熱気が高まっている。テレビを観ると、中・高校生の時に対戦していた選手がプロ野球選手として活躍するようになり、自分も義務教育当時の将来の夢がプロ野球選手であったことを思い出す。そして今では、大学の同期、部活の先輩・後輩が医師や看護師、保健師や養護教諭として全国で活躍している。プロといえば、医療従事者は専門職でありプロフェッショナルである。私もプロで在ろうとするからこそ、現在修士課程で学んでいる。
 話は本題に入るが、8年前、自治医科大学に入学した時から周りの環境が大きく変化した。話をする人や知り合いが北は北海道、南は沖縄県出身者になったのである。この全国各地という意味では、日本の大学の中でも自治医科大学は最も特徴的だろう。栃木県出身である私を含め、様々な方言や訛りが飛び交う中での生活は楽しいものであった。卒業後は付属病院の野球チームにも参加させていただくことで、活気のあるお兄さん達に野球だけでなく+α的なことも教わった。大学で知り合った方たちとは、今では結婚式などで年に数回会う程度になってしまったが、その度に大学生活での思い出が想起され当時の感情が蘇るきっかけとなるため、この機会が私の楽しみになっていることは間違いない。なかなか離島にいらっしゃる方には会えていないが、再会の時が待ち遠しい。実はこれら諸先輩方に助けられた出来事がある。
 一昨年のこと、ある結婚式の出し物の練習をし終えた時であった。みんなで笑いながら練習をしていたほんの1時間が過ぎた際、頬の違和感に気づいた。頬が痛かった、筋肉痛になったのである。数ヶ月後、人前に立った後に大学時代からお世話になっている先生から言われた、「もっと笑わないと駄目よ。そう、その笑顔でいなきゃ。」確かに、あの頃は笑うということを忘れていた。看護師として働いていた時は患者さんの前では笑顔を心がけていた、笑顔が力になることも認識していた。しかし、この時の環境では得るものはあるが、人として看護師として大きなものを失いかけていることにも気づいた。そして、自分自身との葛藤が始まった。状況に対処するため休暇を取り自分自身を見つめ直した。休暇の間に気晴らしに付き合ってくれる知人がいた、ご飯に誘ってくれる同僚や先生がいた、遠くから連絡をくれる同窓生がいた、東北地方にいらっしゃる先輩夫婦は一晩話を聞いてくださった、他県で教員をしている先生に突然相談しに伺ったこともあった、話を聞いてくださる先生や職員の方たちがいた、見守ってくれる家族がいた。忙しい中嫌な表情1つせず、1時間でも2時間でも話しに付き合ってくださる方たちや、味方になってくれる方たちが大勢いることをとてもありがたく感じた。今でも皆さんに感謝している。
 当たり前のことのように聞こえるが、人は1人では生きていけない、支えあいながら生きている、感謝を忘れるなとよく耳にする。しかし、業務に追われる生活やつらい経験の最中でいつでも思っていることではなく、何かの出来事をきっかけに思い出すことが多いのではないだろうか。この特色ある素晴らしい環境で学んでいる大学生も、自治医科大学で得る人とのつながりを遅かれ早かれいつかは感じるのだろう。人とのつながり、それは縁であり、私を人間的に成長させるものであり、時には支え合うものとなる。これまでも、そしてこれからも私にとって宝であり、財産であるだろう。

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