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平成28年熊本地震:後藤 崇先生(宮崎14期)からの報告


JMAT宮崎第1斑 報告

   我々は2016年4月14日夜に発生した熊本地震後の災害医療支援チーム「JMAT宮崎」として宮崎県医師会から派遣要請を受け、2016年4月19日〜2016年4月25日まで熊本市にて災害医療支援活動を行った。 以下に現地概要、活動報告および感想を述べる。

1.対象被災地

   我々が派遣されたのは熊本市北区で、今回の震源地からは北部に位置し、最も被害の甚大だった益城町や阿蘇地区に比べると比較的被害の軽い地域であった。熊本入りした4月19日(地震発生後5日目)には既にライフラインもかなり復旧し、地元医療機関もほぼ回復 、物流もかなり回復していた。しかし未だ北区内37ヶ所の避難所には避難者が約6,000名ほど避難している状態であった。

2.避難所概況

  1. 区指定避難所は主に小中学校の体育館や教室が充てられていた。電気は当初からほぼ問題なく、上水道は7割復旧、断水している避難所にも飲料水が充分供給されていた。トイレ事情は、学校常設トイレにプールの水をバケツで流す方法と、仮設トイレとがあった。防災用として地震前に設置されていた「雨水を貯留してトイレ用水とするシステム」がうまく稼働している学校もあった。
  2. 各避難所には昼間2〜10人程度、夜間50人〜150人程度の避難者がいた。最も大きな避難所は2,000人を越す避難者を収容していた。多くの避難者は、日中に家の片付けや出勤等で避難所には不在、夜に避難所に帰って来る、もしくは隣接する運動場内に駐車した自家用車中泊、というパターンであった。自宅の被害も軽微でライフラインも復旧しているのに夜間は避難所に寝泊まりするといった、今回の熊本地震後に特有の避難形態をとる避難者が多くみられた。いずれも余震の恐怖と、被災した時に自分がいた場所に対するある種PTSD反応と思われる不安の増強が理由、との声が聞かれた。
  3. 避難ブースは基本的に体育館の床にマットや段ボール、布団を敷いての状態であったが、褥創はほとんど見られなかった。これはADLが十分な人が多かったこと、早期からJRAT等の理学療法チームの巡回もあったこと、東日本大震災の教訓から避難者自身に避難所におけるADL低下予防についてすでに意識付けされていたこと、等が理由と考えた。ただし、家族単位でのブースだが隣と隔てる衝立はなく、プライバシーを保てないことが車中泊者が多いことの最も大きな理由と考えられた。
  4. 各避難所は、従来の地区自治会やPTA等の組織で指揮系統が効率よく機能している避難所と、全く機能していない避難所に大きく二分されていると感じた。前者の中には、全体の人数把握、傷病者・高齢者・乳幼児・妊産婦の把握、援助物資の管理、避難所の土禁化、トイレ等の環境保全、病人を収容する別室、同行避難したペットを管理する別室に至るまで、驚くほど環境整備が進んでいる避難所もみられた。対して後者においてはこのような項目がマネジメントされていないために改善すべき問題を多々抱えていたり、問題点すら不透明な状況の避難所すらあった。このように避難所におけるカウンターパートの確立が諸問題の多くを解決する可能性が考えられたが、我々の活動期間内に政令指定都市相互協力の一環として岡山市職員が24時間態勢で各避難所に常駐する態勢となったことから、これら諸問題のいくつかは速やかに解決していくものと期待された。

3.巡回診療

  1. 上記の背景もあり、この期間での熊本市北区における医療活動としては救護所での診療はなく、避難所巡回診療が主となった。活動開始にあたり、当日朝のミーティングで3〜4ヶ所の巡回先が割り振られ、チーム単位で巡回を行った。JRATのメンバーが同行することもあった。
  2. 日中避難所に残っているのは高齢者や要支援者が多く、医療介入が必要なケースがしばしばあった。二次発生的な感冒様症状を呈する人、成人から小児においてもPTSD様症状を訴える人もおり緊急でDPAT介入を要請したケースもあった。嘔吐下痢症の発生した避難所には区保健師と連携して次亜塩素酸水の配布と使用方法の指導、発生したトイレのロックアウト指示を行った。基本的には近隣の医療機関は再開していたこと、介護タクシーを含む交通インフラもほぼ復旧していたことから、各避難所に再開稼働している医療機関一覧を配布し、手持ちの薬剤が切れそうな避難者にはかかりつけ医への再診を促した。
  3. 元来車椅子使用や要介護認定を受けている高齢者も日中避難所にいたが、床臥床からトイレに移動するのにも人手が必要なことや、避難所のトイレには手すり等もないため転倒等のリスクも高いと考えられた。保健師と連携をとり福祉避難所の斡旋を計画したが、福祉避難所自体に充分な空きがないとのことで、対象と考えられる人全てを福祉避難所に移動させることはできず今後の課題として残った。

4. 北区統括業務

   北区統括を行っていたJMAT神奈川・東京混成チームの引き揚げに伴い、我々JMAT宮崎で4月21日から統括業務を引き継いだ。 業務内容としては以下の内容であった。
  1. 各巡回チームのデータ収集とデータベース作成
    巡回チームは、巡回診療と同時に避難所アセスメントシートを用いて、各避難所の避難者数・内訳・要フォロー者・ライフライン復旧度・援助物資充足度、等を調査。各チームのデータを統括本部が日報としてまとめ、それを区保健子ども課を通して市に報告する形をとった。我々が統括を引き継いだ時には、各チームの作成したチェックシートを毎日区の保健師がまとめる作業を行っていたので、データベース化したものの雛型をUSBに入れ各チームに配布、入力してもらい夕方回収しまとめる作業を効率化した。この結果保健師の業務が軽減でき、保健師チームの在宅巡回等へ時間を割くことが可能になった。
  2. 巡回チームへの割り振り
    朝9:30と夕16:00に全体ミーティングを行った。前夕ミーティングにおいてでた問題点を参考として、朝ミーティング時に本日重点的に巡回が必要な避難所を区保健師と一緒に決定し各チームに割り振る作業を行った。数日単位で活動するチームが入れ替わるため(この期間に一緒に活動したのは、JMAT神奈川・東京チーム、日赤チーム、国立病院機構チーム、JMAT福岡(北九州総合病院チーム、公立八女病院チーム、福大チーム)、都立墨東病院チーム、日本医大チーム、菊南病院混成チーム、JRATチーム、堺市保健師チーム、愛媛県保健師チーム)各チームの活動初日には概況説明を行った。
    また巡回時間帯に緊急巡回要請が来た場合は、近くの巡回チームを急行させる連携も行った。
  3. 熊本市保健医療救護調整本部との連絡
    熊本市庁舎内3F 熊本市保健医療救護調整本部において、区統括と市保健課、熊本市医師会、その他関係各署による代表者会議が隔日開催されこれに出席した。現在の自区における概況報告、本部からの伝達事項確認、自区での医療支援チームの必要数、等の情報交換を行った。

5.活動成果

  1. 上記のごとく、北区の医療支援としては収束期を迎えていると考えられたが、車中泊避難者におけるDVT等の潜在的危険性の把握や、巡回時に面談できていない夜間避難者への対応に問題点が残ると考えた。そこで今後の展開として、熊本市に対し地区ブロックや避難所に災害支援NSの配置を要請した。その結果、北区の3ヶ所の避難所において常駐Ns(交代制)が 設置された。これにより情報の吸い上げがより密になることが期待された。
  2. 地元医師会と調整し、地元医師と災害支援Nsとの混成チームを編成することができた。これを途に、既存の医療資源活用と区対策本部機能を地元医療機関へ移譲していく準備ができた。
  3. 今後のモデルケースとして以上の内容を市と県の対策本部に提案できた。
  4. NPO法人と折衝し、ラップポン(災害時用簡易トイレ)の配置を開始できた。

6.感想

   今回のJMATでの医療支援は、時には診療であり、時には公衆衛生的な活動であり、時にはロジスティックス業務であったりしたのだが、比較的被害の少ない地域においても災害医療支援チームにはその時点で必要とされるミッションが必ずあり、それらが効率よく廻ることでスピーディーな復興に繋ぐことができると痛感した。

   また活動中に自治医大卒業生の活躍をよく耳にし、非常に誇らしく思った。上記のNPO法人の担当者も愛媛16期卒森實先生(卒後20数年ぶりに再会)で、大変驚いたがおかげで話もとんとん拍子に進んだ。東日本大震災の時も感じたことだが、DMATの時期を過ぎた頃には自治体や地元医師会、関係各署とのネゴシエーションの場面が増えてくる。私達自治医大卒医がもっとも得手とする場面ではないかと考えている。
古賀総合病院  外科手術部長 後藤 崇
同 看護師 中園真弓
同 看護師 田代和代
同 施設管理課 藤田秀行