自治医科大学医学部同窓会報「研究・論文こぼれ話」その4  同窓会報第59号(2012年1月1日発行)

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「これまでを振り返って 」河野幹彦(自治医科大学さいたま医療センター総合医学1、宮崎1期)

 卒業して33年が過ぎました。振り返れば、一生宮崎で臨床医(医者)をやっているだろうと思っていた道とは大きく異なってしまいました。そのきっかけは、初期臨床指導医の存在、自治医大での後期研修、義務年限終了時の宮崎県の状況と千葉大学二内科入局、アメリカ留学と川上センター長との出会い、大宮医療センター就職、となるかと思います。
 現在、糖尿病や脂質異常症を主に診療していますが、この分野に入るきっかけとなったのが初期研修病院(県立宮崎病院)での初期研修でした。その時の指導医Y先生の専門が内分泌代謝学でしたから当然の如く糖尿病患者を多く受け持ちました。Y先生の外来を手伝いや小児糖尿病患者サマーキャンプにも同行させて頂き、必然的に糖尿病との関わりができました。糖尿病は御承知の通り血管の病気で、腎不全、失明、心筋梗塞、狭心症、脳梗塞、壊疽などの血管合併症に悩む患者さんが多く、糖尿病の恐ろしさをしみじみ感じました。卒後3年目の1年間は宮崎県で最も僻地で平家落人の村として知られる椎葉村(人口約6,500人)の国保病院勤務でしたが、勤務を始めて2ヶ月以内に副院長と院長が相次いで辞職されたため、約9ヶ月間1人勤務となり、仕事に忙殺され、精神的および肉体的にも目一杯の状況でありました。故中尾前学長から頂いた「忍」の色紙を見つめるばかりで、「研究」という言葉は全く念頭にありませんでした。4年目は1年間県立宮崎病院で糖尿病を中心に診療し、遅まきながら学会発表しました。
 5年目は1年間の後期研修を自治医大内分泌代謝科で行いました。主に病棟および外来研修でしたが、時間を見つけて研究室(初めての研究)に行き、抗インスリン抗体を作成する手伝いをしましたが、マウスに注射しようとした時にマウスが動いたため誤って自分の指に注射針を刺してしまい、指が腫れ、痛みが長く続いた思い出があります。後期研修期間中には抗体作成はできませんでしたが、担当症例を雑誌「糖尿病」に掲載することができました(初めての論文)。「研究」を経験したいと思うきっかけは脂質代謝関連の研究会でのこの症例の発表でした。この研究会にはその道で有名な大学の専門家が参加され、多くの先生を知ることができました。その中の1人が千葉大学二内科の白井厚治先生(当時助手、現東邦大学佐倉病院名誉教授)でした。白井先生は若いのに知識が非常に広くかつ深く、専門家としての自負を感じ、医者であっても「研究」する期間を作ることが重要だと思いました。
 後期研修後は再び宮崎県に戻りました。僻地勤務では大学派遣医師の引き上げによる医師減(一時的に1人勤務)で疲労しましたが、県立病院では糖尿病患者を多く診療し、糖尿病における動脈硬化進展に興味を持ちました。義務明け後をどうしようか考えましたが、現在と違い、宮崎県からは「県に残ってくれ」とは全く声がかからず、むしろ「自分で何処かを捜して行ってくれ」というような雰囲気でした。そこで「研究、それも糖尿病と動脈硬化との関連についての研究を数年間やり、その後は宮崎の何処かに戻って医者をやろう」と決めました。その時、千葉大学の白井先生の顔が浮かび、連絡を取り、吉田 尚教授(自治医大内分泌代謝科初代教授)、齋藤 康講師(現 千葉大学学長)に研究生として快く受け入れていただきました。千葉大学では、「糖尿病とリポ蛋白代謝」、「糖尿病動物動脈平滑筋細胞(SMC)の形質変化」などの研究テーマをいただきました。研究室では毎週木曜日の午後8時から、1週間の研究成果の発表・討論、英語での論文紹介がありました。研究成果の発表では齋藤先生や白井先生などから鋭い指摘があり、討論は白熱し、午前0時を過ぎるまで続きました。実験も午前0時(早退)、1〜2時(定時)、3時(残業)を過ぎることがざらであり、田舎から出て来た私には目が飛び出るほどのカルチャーショックでした。ジャンバーを着込んでcold roomの中でリポ蛋白リパーゼ(LPL)をカラムで長時間かけて抽出したこと(本当に寒かった)、リポ蛋白をzonal超遠心器で画分する際に手が巻き込まれるのではないかと不安に思ったこと、糖尿病患者から得られたLDL亜分画がマクロファージに取り込まれやすいのが分った時、糖尿病動物を作成できた時、糖尿病動物動脈SMCの増殖能とPDGF‐β受容体発現との関連が分った時などは、臨床ばかりをやっていた私にとっては非常に喜びであり、新鮮な毎日でした。私より若い先生達に実験手技や論文作成を懇切丁寧に教えていただいたのも忘れられないことです。齋藤先生は常々、「研究成果を発表しないのは罪である。」「得られた研究成果は論文発表すべきである。」「世界の人々に知ってもらうためには英語論文で発表すべきである。」「臨床の疑問を基礎で検討し、基礎研究の成果を臨床で応用しなさい」と言われていました(今でも頭にこびりついています)。
California大学San Francisco校に2年間留学し、HDLの亜分画であるpreβ-HDL(コレステロール逆転送系に重要)の研究を行いました。アメリカのシビアな研究競争を見て、臨床を行いながらの研究では勝負にならない、と悲観的になりました。留学中のアメリカ糖尿病学会で川上先生とのきっかけができました。
 留学後大宮に来る際に、著者または共著者(Second author)として少なくとも1年に1報は英語論文を作成しようと心の中に誓いました。大宮に来てからは臨床が忙しく、あまり研究らしいことを行なっていないのが実情ですが、植木教授とアルツハイマー病とリポ蛋白との関連、穂積先生とタモキシフェン投与時のリポ蛋白代謝の変動、臨床成績、さらに千葉大学や留学先での成績(書き残し)などを細々と発表してきました。
大宮では臨床症例に関する論文が多数を占めました。心筋梗塞(MI)患者の血清総コレステロール(TC)値は高くないという論文が数多くあります。ところが、通院中にMIを発症した患者で検討しますと、TCは発症当日には約50㎎/dL、翌日には約80㎎/dL低下することが分かり、論文化することができました。また、TC正常、食後中性脂肪高値、HDL-C低値の陳旧性MI患者でアポ蛋白を測定したところ、アポ蛋白C-IIが非常に低値でした。文献上報告がなく、この症例も論文化できました。「本当かな、不思議だな、変だな、困ったな、良く出来たな」と思う症例は数多いと思います。特に、地域医療に従事しておられる先生はそのような症例に直接遭遇する機会が多いと思いますので、是非論文化して下さい。論文作成のための論文検索は本学図書館のホームページを利用することができます。ただ、検査などで困られることがあるかと考えます。その際は本学臨床検査医学またはさいたま医療センターの臨床検査部にご連絡いただければお手伝いできるものがあるかと思います。
 論文を作成する際には主題が同じような論文を参考にしました。そして、作成するからには「絶対採択させてやるぞ」と念じて書き始め、1ヶ月以内(私の意欲が萎えない期間)には書き終えるように努力しました。また、共著者として論文作成を手伝った際には、できれば1週間(遅くても2週間)以内に返却するように努めました。無修正で採択された論文はこれまでありませんでした。多くの論文は2回目で採択されましたが、3回目でようやく採択された論文もあります。また、投稿雑誌を変更せざるを得ない論文もいくつかありました。採択されるためには挫けないことが重要だと思いました。ただ、どの雑誌にも採択されなかった論文が残念ながら1つあり、今でも悔しく残念です。
 最近、学会発表には熱心だが、英語論文作成には不熱心な先生を時に見受けます。「得られた研究および臨床成果を学会発表することが最終目的でなく、世界の人々に知ってもらうための英語論文作成が最終目的である」ことを期待しています。

(次号は、自治医科大学心臓血管外科学部門        三澤吉雄先生の予定です)


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