さて、基礎の研究室に残るべきか、臨床の現場に戻るべきかというのは結構大きな決断でした。それまで私は、比較的直感で、即断即決気味に進路を決めてきたのですが、年齢も上がってきて、気軽にコロコロ変えることは難しくなってきました。多分、進路を大きく変える機会としては最後じゃないかと感じていました。その頃のある研究会の懇親の場で、膠原病学の大御所であるMN先生に相談したところ「それは臨床がいいんじゃない?」と即答されました。臨床医が基礎研究の世界に残ることの大変さをMN先生はよくご存知だったのでしょう。
大学医学部のカリキュラムは、後半はほとんどが臨床であり、病棟実習がメインでした。卒業後も3年ほど、全く基礎研究に接することなく研修生活を送っていました。その後にそれと同じくらいの期間を基礎研究に費やしたとはいえ、あの時点で臨床に戻ることを完全に断念するという決断はなかなか難しいものでした。そこで埼玉医大学リウマチ膠原病科のMT教授に相談することにしました。MT先生は私が研修医1年目だった時の指導医(オーベン)でもあった先生です。「うちに来たら?」とおっしゃっていただき、異動する気持ちを固めました。久しぶりに臨床の現場に戻ることになりました。
しかし、基礎的な研究を全くやめるというつもりはありませんでした。少しずつ実験室をセットアップしました。まず電気泳動槽のミューピッドとゲル撮影装置、遠心機といった基本的な装置から。医科歯科時代にラボをほぼゼロから立ち上げた経験が役に立ちました。2種類の温度設定ができる恒温槽である「温子と冷子」は埼玉医大でも買いました。なんと言ってもネーミングがいいですよね・・・(実は自治医大でも買いました。3台目・・・そろそろ会社に表彰されても良いと思いますが)。一方PCRや定量PCRの機器、細胞培養の設備などはラボ内に整っており、大変助かりました。また細胞分離のためのAutoMACSがあったのは後々とても役に立ちました。東大でも医科歯科でもMACSは手作業だったので、AutoMACSは正直、革命的でした。
佐藤 浩二郎
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