もう一つの問題は研究費の問題です。製薬会社が奨学寄附金制度の廃止を発表するケースが急増しているように思います。この制度に関してこれまで色々な問題があったという経緯があることは理解できますが、適切なルールを作って運用すれば回避可能なことのように思います。製薬会社がリサーチ・アンド・デベロップメントに振り向ける体力を失っていることも危惧されます。ただこの問題は、前回書いたように大学病院などではほとんどのエフォートを臨床に振り向けざるを得ないという状況では目立ちにくいかもしれません。研究には時間も費用もかかります。どちらか一方が欠けているだけで進まなくなります。

しかし状況が改善するまで待っているというような悠長なことで良いでしょうか?一度ストップした研究を再度動かすのは相当難しいことです。ただでさえ日本の研究レベルが世界と比べて低下しているという記事はネット上でも多く見かけます。このまま手をこまねいていると日本発の研究が枯死してしまうのではないかと心配になります。

ただ、若手研究者がまだまだ新たに出てきているのも確かなことです。先日ある研究会で、若手研究者の方が「オーダーメイド医療(の開発)に人生全てかけてもいい」と宣言していたのを聴き、実に頼もしいと思いました。その時思い出したのが「男子一生の業」という言葉でした。これは坂口安吾の「ラムネ氏のこと」という随筆に出てきた言葉で、「周囲から滑稽と思われるようなことでも、それに徹した人たちだけが物のあり方を変えてきたのであり、それは結局一生をかける価値があることなのだ」というような内容です。高校生の時に国語の教科書に載っていて読んだのだと記憶していますが、その時は読み流していました。大学時代に、同級生と電話で話をしている時に(今のように携帯電話ではありませんでした)彼が「男子一生の業」をしていきたいのだ、というようなことを言っており、その時初めて印象に残ったのです。随分熱いことを言うんだな、と思ったのでした。人の本質はなかなか変わるものではありません。きっと彼は今でも「一生の業」を追求しているのだろうと思います。先日の研究会ではその時の電話での会話を思い出して、懐かしい気持ちになりました。

話が逸れましたが、大学院生が減っているのは、新専門医制度のためもあるように思います。内科の場合、比較的取りやすかった認定医制度が終了し、最短でも5年間かかる内科専門医だけになりました。それを取ってから大学院に進むのはやはりハードルが高いのだと思います。そもそも専門医を取るのがかなり面倒であり、片手間にできることではありません。内科の場合は更にその後でサブスペシャリティ領域の専門医、というのがあります。しかしサブスペシャリティ領域の専門医についてはあまり慌てて取る必要はない、というのが個人的な意見です。

佐藤 浩二郎

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