このshort formの転写誘導にはNfatc1そのものが関わっています。つまり自分自身を誘導する典型的な「ポジティブ・フィードバック・ループ」のシステムです。生体によく見られる「ネガティブ・フィードバック」機構は、産物が自身の産生反応を阻害するタイプのシステムで、これは生体の「恒常性(ホメオスタシス)」の維持に重要です。つまり「あまり変化しないように調整する」システムです。ポジティブ・フィードバックはその逆で、どんどん変化が加速するタイプのシステムです。これは細胞の分化にはとても重要です。細い線維芽細胞のように見える破骨細胞前駆細胞が、巨大な多核細胞である、似ても似つかぬ破骨細胞に分化する際にはこのようなポジティブ・フィードバック機構が働いていると考えられます。当然、誘導されるshort formは破骨細胞分化に重要でしょう。こんなに大量のNfatc1 short formを、生体がムダに作るはずはない。生体のリソースにそんなに余裕があるわけではないのです。

short formだけ出来ないように操作してやればそれを確認することができます。short formだけexon 1を利用しているのだから、exon 1を潰してやればよいのです。つまりノックアウト(KO)マウスを作って解析すればよいのです。

 しかしKOマウスを作るのは結構大変なことです。大学院生が何年もかけてKOマウスを作成し、結局解析する時間がなく学位論文にすることができなかった・・・などという笑えない話も耳にしました。「ノックアウトされたのは実は大学院生の方だった」という冗談も・・・(笑えない、笑えない)。時間・手間だけでなく研究費もかなりかかってしまう、ということで私もそれまで手を出すことはありませんでした。しかし、今から10年ほど前に事態が急変します。CRISPR/Cas9システムの発見と応用です。これは元々細菌が、自身に感染するウイルス(バクテリオファージ)に対する防御法として持っていたシステムのようなのですが、それがゲノムの編集に応用できるということが示されたのです。(シャルパンティエとダウドナ両博士が2020年にこの技術でノーベル化学賞を受賞しています。)これを利用すれば、理論的には比較的簡単にKOマウスが作れてしまうのです。そのサービスを始めた会社のホームページを見ると期間は半年くらい、費用は150万円くらいとのことでした。これなら手が届かないほどでもない・・・心がグラつきました。今振り返ると、KOマウスの解析に対して分子生物学の花形のような憧れを持っていたのだと思います。じゃあやってみるか!基本的にはやらずに後悔するよりは、やってみる方を選ぶタイプです。何事も経験ですからね。

佐藤 浩二郎

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