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第3次自治医大災害派遣チーム活動報告

1.はじめに

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第3次チームは、平成23年4月9日(土)から16日(土)まで大船渡市に派遣されました。メンバーは、医師2名(岡山・竹澤)、看護師2名(芝田・泉田)、薬剤師1名(芝)、事務2名(関口・大類)の計7名で構成されました。大船渡市では、担当保健師の指示に従って支援活動を行いました。ここではその活動内容、大船渡市の医療状況、および活動を通してメンバーが学んだことを報告します。

2.活動内容

image004.jpg主な支援活動は避難所の巡回診療と往診活動でした。大船渡市では市内を8つの地区に分けて医療・保健関係支援チームの活動を管理していました。我々のチームは引き続き末崎地区を担当しました。末崎地区では、医療を自治医科大学、こころのケアを久里浜こころのケアチーム、保健師は奥州市が担当し、それらのチームを大船渡市の保健師が統括していました。我々のチームは主な活動に加え、前チームからの引き継ぎで担当保健師と協力し地区唯一の開業医(被災により診療所流失)の仮設診療所開設の支援も行いました。

image006.jpg1週間の支援活動について、前半は末崎中学校に拠点を据え、周辺の避難所(碁石コミュニティセンター、中野公民館、末崎小学校、三十刈公民館、熊野神社、碁石公民館)と開業医の仮設診療所(末崎中学校横、ふれあいセンター2階)で活動を、後半は開業医の仮設診療所が軌道に乗ったことから、競合を避けるため末崎小学校に拠点を替え、周辺の避難所(峰岸公民館、長源寺、末崎中学校、碁石コミュニティセンター、中野公民館)で活動を行いました。

image008.jpg活動は2班に分かれて行われ、それぞれが避難所を午前と午後に巡回しました。依頼があればその合間に往診も行いました。巡回診療の内容は感冒、急性上気道炎、咳、軽微な外傷、不眠、高血圧症など慢性疾患の継続処方など、軽症例がほとんどでした。患者数は避難所毎にばらつきはありますが、数名から30数名でした。往診の依頼は4件ありました。軽症例が多い中、県立大船渡病院に紹介する症例も数件(肺炎、脱水など)経験しました。

我々のチームでは被災者の状況を勘案して、診療だけでなく診療の合間に避難所の中を巡回し、様々な健康相談にも対応しました。

3.大船渡市の医療状況

image010.jpg大船渡市の医療の中心的な役割を担う県立大船渡病院は大きな被害を免れ、岡山県や藤沢市民病院(神奈川県)の支援を受け、診療機能を維持していました。診療所(開業医)については元々あった24診療所のうち19診療所(うち仮設診療所2つ)が、また、院外薬局については30あった院外薬局のうち、17院外薬局が開設しました。(平成23年4月11日現在) 被災後1か月でようやく医療環境が整い始め、4月15日には大船渡市の医療の復興について、保健所長、大船渡市担当職員、医師会、支援チームが参加した本格的な会議が開催されました。その会議において避難所の巡回診療から開業医への受診勧奨の流れが確認され、医療の自立の方向に舵が切られました。そこで避難所で使用したカルテの情報の開業医への引き継ぎが大きな課題となったため、このことについて早急に検討することとなりました。

活動内容でもふれましたが、我々が担当した末崎地区でも開業医の診療再開の支援を行うため、4月11日(月)に、開業医、地区公民館長、大船渡市職員、保健師、そして我々支援チームからは岡山が参加し、仮設診療所の開設場所や条件などを話し合いました。その結果、当面は水、土、日を除き13時から15時まで末崎中学校横のふれあいセンター2階で、診療を再開することが決まりました。11日と12日はカルテの整理や処方箋の転記を手伝いましたが、14日からは我々の支援は必要なくなり仮設診療所での診療は軌道に乗りました。

仮設診療所の開設に伴い、院外薬局も再開しました。当初は仮設診療所の診療にあわせるとのことでしたが、院外薬局の責任者と芝薬剤師の話し合いもあり、仮設診療所の診療にかかわらず日曜日を除き営業することが決まりました。これにより支援チームの処方箋のほとんどを院外処方にすることができました。

このように、我々の派遣期間における大船渡市の医療状況としては、ちょうど災害医療から通常の医療への移行期にありました。地元医療機関や院外薬局の経営に配慮しつつ、津波の被害により交通手段を失った被災者の利便性を損ねないように支援活動することが求められました。

4.活動を通してメンバーが学んだこと

image012.jpg我々のチームは医療支援活動の合間を利用して、積極的に、大船渡市と陸前高田市の被災状況や人々の暮らしぶりの把握に努めました。津波によって被害を受けた地域とそれ以外の地域ははっきりと区別され、その暮らしぶりも全く異なるものでした。大船渡市では、多くの人々が不自由はあるもののしっかりとした生活基盤を持ち被害から回復している一方、一部の人々はすべてが津波に流され、いまだ見通しが立たない状況です。陸前高田市においてはより深刻で、多くの人々がその財産を失いました。

image014.jpg支援活動が始まった当初は市内の光景を目の当たりにし、これは尋常ではない災害だとやや他人事のように客観的に見えていたように思います。しかし、医療支援活動を通して被災者の方々と対話し、被災前の暮らしぶり、末崎地区の歴史、そして被災者が失ったものの大きさを理解するたびに、その光景から受ける印象は次第に変わってきたように思います。日々その光景を語るメンバーの意識は変化し、末崎地区を含め大船渡市という地域への理解が深まり、その将来に向けた言葉が多くなりました。支援活動の最後の日に目にした光景は当初の印象とは大きく変わりました。その光景の中に人々の暮らしがあり、そしてこの未曾有の災害が、人々にもたらしたものを考えると呆然と眺めるだけとなりました。地域に暮らす人々の生活を守ることが何より大切であり、それに貢献することが医療に携わるものの努めであること、地域医療というものがとても大切であることを改めで認識させられた一週間となりました。

5.おわりに

支援チームとして大船渡市で活動を行いましたが、逆に大船渡市の人々との出会いから多くのことを学ばせていただきました。支援期間中、医療環境と同様に大船渡市の暮らしぶりも日々良くなっていきました。感謝とともに大船渡市の復興を願い、また機会があればその復興に貢献することを誓い、ここに活動報告の筆を置かせていただきます。

 (記載者:岡山雅信、地域医療学部門)

 

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