自治医科大学 精神医学講座

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教授のひとりごと

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2017-09-07 僕がobesityを自虐ネタに使う理由(改)

 2003年から2006年まで、アメリカで過ごした。理由は、たいした事ではない。安住の地がそこにあるような気がしたからである。まさに若気の至りである。しかし、海の向こうの彼の地は実にとんでもないところであった。

 

 僕が住んでいた所はコネチカット州ニューヘブンという小さな町である。かつては造船工場と銃器工場で栄えていたらしく、その名残か、町で一番大きな橋には「リメンバー・パールハーバー・ブリッジ」というふざけた名前が付けられている。今は軍需産業の衰退とともに町全体の活気が失われており、低取得者層のたまり場になっている。全米でも指折りのやばい町である。衰退しているだけあって、貧乏人が多い。町ではドアのない車や、火花を出して何かを引きずりながら走っている車をよく見かける。また、道路にはありとあらゆるものが落ちている。タイヤ、マフラーなどの車のパーツ、ドア、椅子、ベッド、便器、鹿。落ちているものは、拾った人が所有してよいことになっている。家が造れそうだ。食材にも事欠かない。アメリカは自由だ。

 

 職場の隣には家賃の安い古ぼけた高層アパートがあり、ちょっとやばそうな人達の収容所になっていた。目の前には消防車の駐車場があり、彼らが騒動を起こした時に鎮圧するために常駐しているようだった。彼らは大抵太っていて、よれよれのTシャツにぶかぶかのパンツという格好をしており、いつも左斜め上を見上げていた。そして、人を見かけると必ずこう聞く。「ワッタイム?」。彼らには腕時計を買うお金がないらしい。

 

 彼らは極めて語彙が少なく、困った時は必ず「う◯こ」と言う。怒りを表明する言葉は「け◯の穴」と「◯す」の二語しかない。実にシンプルである。しかし、会話に必ず「◯しながら」という副詞を入れなければいけない掟がある。まるで汚言症のようではあるが、それが彼らのアイデンティティーなのだから仕方がない。むしろ、それだけでコミュニケーションが図れているのだから見事と言うしかない。僕は毎日の様に時間を聞かれていたので、左斜め上を見上げる姿勢と汚言症が移ってしまった。僕の発想が下品になってしまったのは彼らのせいである。

 

 しばらく過ごしていると、アパートの前にある消防車の駐車場は、じつはただの広い道路であり、専用の駐車場になっている訳ではないことがわかった。彼らは、火災報知器の前でタバコを喫う、という習性がある。そのため、毎日のように消防車が呼ばれているに過ぎなかった。それでも、消防士は腹を立てている様子はない。本当の火事ではないのだから、楽な仕事である。また、誰かが逮捕されている様子もない。やはり、アメリカは自由だ。

 

 天気の良い日の午後、僕は街角のスターバックスでコーヒーを飲んでいた。空は雲一つなくカラリと晴れ、窓の外の景色はキラキラしていて実に清々しかった。隣にはスクール・オブ・アートの学生向けの画材屋があり、少し覗いてみようと僕は外に出た。しかしドアを明けると、ものすごい臭気が立ちこめていた。思わず周囲を見回すと、巨大な馬が尻尾を振り、ボトボトと黄緑色のものを落としながら歩いている最中であった。馬には女性警察官が乗っており、凛とした表情で実に偉そうであった。馬は、信号の前で一時停止をするとぶるるっと鼻息を立て、誇らしげに交差点を駆け抜けて行った。そして、僕の目の前には汚物だけが残された。しかし、その付近を歩いている人たちは全く気にも留めていない。僕はリズミカルに揺れながら過ぎ去ってゆく馬の尻尾をぼんやりと眺めながら思った。アメリカは自由の国というが、自由にも程があるだろう!

 

 アメリカは本当にどうしようもない国である。が、我々日本人が学ばなければいけない点が一つある。それは、ちょっといまいちな感じの人達でもちゃんと仕事を持っている、というところである。例えば、日本であれば、職場に仕事ができない人がいたら、出来る人が倍働いて、その分をカバーすることが多いだろう。日本ではサービスは無料が当たり前であるから、十分なサービスが行き届いていないと顧客を失うことになる。安いものしか売っていないコンビニだって、店員がもたもたしていたら、客は、怒る。効率よく、かつ安価に顧客を満足させるためには、優れた作業能力が必要になる。そんな風潮があるから、力のない者は追いやられ、結果的に社会に依存する立場になってしまう。

 

 ところが、アメリカではそうではない。それなりの店では、それなりの人達が働いている。従業員の平均年収が2万ドルと言われている◯◯◯◯を例にあげよう。◯◯◯◯は売り上げ額では世界最大を誇るスーパーマーケットチェーンである。店の中は雑然としており、品物は整理されていないが、とにかく安い。パンツが1ドル、ブラジャーが2ドル、ビールが50セントとかで売られているので、客足が途絶える事はない。そこでは、ちょっとどうかな?という感じの人達があくびをしながら店員をしている。彼らの仕事はゆっくりで、店員の数も少ないのでいつもレジには長蛇の列が出来ている。しかし、店側はそれを改善しようとはしない。客側も、対応が遅い店員に文句を言うことはなく、平然と列に並んでいる。安いから仕方ないと割り切っているのだろう。サービスを求めたければ、その対価を払って高い店にいけばいいのだ。アメリカではサービスは有料が当たり前だから。

 

 ◯◯◯◯は賃金の低さや不当労働行為でやり玉にあげられることが多いが、色々な人達にも就労の機会を与えている事はきちんと評価すべきだと思う。アメリカのスーパーマーケットを観察していると、日本のサービスは無料という通念や、便利さを極限まで求める国民性は、失業者を増やす方向に作用し、結果的に国益を損なうことになるのではないかと感じてならない。一度しくじってしまった人達の間にどうせダメだと働く事をあきらめてしまう風潮が漂っている日本は、かなりやばいな、と思う。

 

 アメリカでは、色々な階層の人達が生きていけるように、食費がものすごく安くなっている。彼らが集るバーガーキ◯グでは、巨大なハンバーガーと、大砲のような入れ物にぎっしりと詰まったポテト、コーラのセットが4ドルもあれば食べられる。もちろん、高価な食事もあるが、そんなものにありつけるのは年収10万ドルクラスのごく一握りである。彼らは夜な夜なハンバーガーとポテトをむさぼり喰い、バケツのようなカップに溢れんばかりに注がれたコーラをがぶがぶと飲み干す。普通に考えると、これで一日の必要摂取カロリーとしては十分である。そして、どんどん太る。深夜のハンバーガーショップではやせた人はほとんど見た事がない。日本の深夜の吉◯家の殺伐さとは対照的である。アメリカでは、太っていると自己管理が出来ていないとされ、出世ができない。つまり、obesityは低所得、低階級の象徴なのである。しかし、深夜のバーガーキングは、うまい。落ちて行くような気分が味わえ、なかなかやめられない。

 

 そして、転がり落ちるように、僕は体重を増やしていった。僕は昔水泳をしていたので、いつでもその気になれば20代の体型に戻れるという根拠のない自負があるが、残念ながらそれは未だに実現できていない。


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