山 丈二
消化器・一般外科 臨床研究支援センター 教授
東京大学 昭和59 年卒業

職業と道楽

医者とは誠に妙な職業だと、最近、よく思う。明治44年夏、夏目漱石は明石での講演会で、職業とは、「社会生活を営むようになったヒトという生物が別の個体に対して、物やサービスなど何らかの利益になるものを提供することによって己が生存するために必要なエレメンツを獲得する生物学的行為である」と定義し、畢竟、他人本位にならざるを得ない事を述べている。しかし、学者や芸術家などの類おいては、自己本位でないとその行為(彼はそれを「道楽」と云う)の価値はないわけで、そこにこの種の職業の根本的矛盾が存在することを、訥々と語っている。さて、医者の場合である。昔からよく言われるように、役者、芸者などと同様に者の付く職業は典型的なサービス業であるのは間違いないが、同時に病気のメカニズムや治療法を模索する科学者や芸術家(特に外科医)の性格も併せ持っている。だから、その仕事は基本的に他人本位なのだが、同時に自己本位の要素が強く要求される、という特徴があるように思える。

医師の働き方改革が導入され、外科医の日常も大きく変化しつつある。長期間労働が制限され、休暇を取ることが強要(?)される。長い間、大学病院という場所で、恵まれているとは言えない給料でとんでもない長時間労働を行ってきた、それが当たり前であり、そのことに何の疑問も持っていなかった筆者などにとっては隔世の感がある。ただ、振り返ってみると、決して「苦痛」ではなく、毎日が新鮮でどちらかというと「楽しい」時間であったのは間違いない。その意味では漱石のいう「道楽」であったに違いない。要は、これを一般に当てはめることがNGということなのであろう。確かに、「時代」や「価値観」が変わった今、我国の医療を継続するためには根本的な「改革」が必要であることは間違いがない、と思う。

ただ、歴史を振り返ると良くわかるのだが、社会的変革が成功し、そのシステムが長く持続するかどうかは、実は、改革前の良質な部分をどれだけ残していたか?にかかっているのである。どんな社会でも良い面と悪い面があり、悪い部分とともに良い部分をも取り除いた改革は必ずといっていいほど失敗に終わる。日本という国は、集団に対する痛々しいほどの「忠誠心」と類稀なる「勤勉さ」に基づいて、人のために一生懸命に努力する数多くの人々に支えられて今日まで繁栄してきたのは間違いのない事実なのである。もちろん負の側面は多々あったに違いない。それがマスコミ等で大きく取り上げられ、多大なる批判を受けるようになった、それが「令和」という時代なのである。悪習は改めるべきである、そして時代に合ったより良いシステムを作ることが必要である‐そのことに関する異論は全くない。ただ、仕事に対するこの日本人特有の感覚は、何らかの修飾を加えた形で未来へ伝えていくべき大切なモノなんじゃないかな?と思う。そして、もし、それを失ってしまえば、この国は「衰退」の一途を辿るに違いない、そんな気がしてならないのである。

最後は、また鬼滅譚になってしまうのだが、「人のためにすることは巡り巡って自分のためになる。そして人は、自分ではない誰かのために信じられないような力を出せる生き物なんだよ」という言葉が、無一郎の頭の中の「霞」を消す。当たり前のことだが、人の幸福とは、決して「楽」をして贅沢な「生活」をすることだけではない。医師という職業を選択した皆さんにその仕事を満喫できるような人生を歩んでほしいと心から祈念する。