山 丈二
消化器・一般外科 臨床研究支援センター 教授
東京大学 昭和59 年卒業

二刀流

2023年春、WBCで大谷翔平を主人公としたまるで漫画のようなストーリーが実現した。大谷選手は、その後もMLBの記録を塗り替えるような異次元の活躍を続けており、長い歴史を持つアメリカ大リーグに大きな変革をもたらしたと言って良い。(余談だが、大谷が歳を重ね、少し太ると、ベーブルースに似た顔つきになるように思うのだが、単なる偶然なのだろうか?)なにはともあれ、野球好きのオジサンにとっては誠にもって嬉しいかぎりの出来事である。

さて、二刀流というと、二天一流の開祖、宮本武蔵(1584?~1645年)が良く知られている。13歳で有馬某を倒して以来、29歳頃までに吉岡一門や佐々木小次郎など60余の決闘を行い、すべてに勝利したと言われているが、その実像はなかなか掴み難い。武蔵は、少年のころ、左右の手を使い二本の撥で太鼓を打つ人を見て、二刀流を考案したと伝えられている。ただ、それを可能にするには、並外れた膂力と運動神経に加え、異常ともいうべき気力が必要であり、彼以降に二天一流を受け継ぐ者は出なかったという。しかし、武蔵の最も卓越した点は、これならば自分の手に合うという判断を正確に行う「見切り」の能力であったと言われている。つまり、相手が自分よりも劣ることを「見切って」からでなければ、立ち合わないこと、これが彼の剣技の極意であったとされている。事実、武蔵は、柳生一門や神谷、小野などの当時の一流の剣客とは対決せず、30歳を過ぎてからは極力仕合を避けている。孫子の兵法における「敵を知り、己を知れば、百戦危うからず」に相通ずる哲理を熟知していたに違いない。

話が変わるが、我々医療者が相手にするのは病気という敵であり、外科医はメスという刀を使って日々病気と戦っている。しかし、病気によっては、とても自分の手に負えないような難敵にもよく遭遇する。その場合、手術という名の「仕合」を避ける「見切り」の能力が必要になる。しかし、我々は外科医である前に医師である。その病気と闘うこと自体は避けられない。そこで、どうすればこの敵と戦えるのかを考えた結果、「研究」というもう一つの刀を持つことになるのである。しかし、昨今の医療事情から、外科医が臨床と研究の二刀流を遂行するのは極めて難しい状況になってきている。極度に細分化した医療情報の肥大化に伴い、医師の仕事は複雑多岐に及び、労働条件の悪化とともに外科医療の担い手が不足してきている。この傾向は今後ますます進んでゆくであろう。ただ、そんな中でも、この二刀流を追うことこそが、アカデミアの外科が目指すべき方向性であり、それを可能にするシステムを再生することが自分に残された仕事であると筆者は思っている。

またしても、「鬼滅譚」で恐縮だが、大正時代の二刀流、嘴平伊之助は、煉獄が残した言葉の重さと自身の未熟さの挟間で悲嘆にくれる炭次郎に対し、「弱気なこと言ってんじゃねぇ!なれるかなれないかなんてくだらねえこと言うんじゃねぇ!信じると言われたらそれに応えること以外考えんじゃねえ~」と叫ぶ。患者は医師を信じて治療を受ける。だから、それに応えることをシンプルに実行すれば、それはそれでよいのである。医療における二刀流を志す若き「伊之助たち」に会いたい。