国際紛争地、国内災害地での医療活動を経験して
塩澤 幹雄
札幌医科大学 平成7 年卒業
私の災害地や今までの経験をお話しすることで、自治医科大学消化器一般外科学講座の多様性や医局としての度量の大きさを説明できるかもしれないと筆をとらせてもらいました。
大学を卒業し神奈川県立こども医療センターで小児科医として初期研修を行っていましたが研修中にgeneral としての外科の面白さに気づき、後期研修先は外科に変更しました。研修先として見学したいくつかの外科では小児科から転向する研修医をいぶかしく思われましたが自治医科大学外科は風通しの良い雰囲気を持っており、こちらで勉強させてもらおうと決心しました。入局後も実際に伸び伸び研修させてもらいました。
2000 年に噴火し全島民避難となった伊豆七島・三宅島は2005 年に小康状態となり、全島民避難が解除されました。島民の帰島に当たり、診療所に医師が必要となり、災害派遣に興味を持っていた私が赴任することになりました。
半年ほどの派遣でしたが医師として人として大変刺激を受け、また災害地など困難な地域に行きたいと強く思いました。
自治医大外科医局では学位取得後に1 年間自由な時間をもらえることになっています。国外・国内留学しても良く、個人の裁量に任されています。私は学位取得の目安がついたところでこの1 年間を1)福島での医療、2)国境なき医師団への参加に使うことに決め、英会話の学習と帝王切開の研修を始めました。
2014 年9 月福島第1 原発から23km にある南相馬市立総合病院に赴任しました。既に東日本大震災から3 年が過ぎていましたが南相馬市小高地区では遺残放射能の影響で復旧が遅れており、海岸沿いには津波によって打ち上げられた漁船や廃屋がそのままの状況で残されていました。しかし南相馬市立総合病院には全国から多くの医師が集結し、医療だけでなく、被曝の問題などについて英語論文の発表なども積極的に行っており、“ 日本の医療も捨てたもんじゃない” と感銘を受けました。
平成28 年度の英語論文は28 本に登っています。国境なき医師団ではパキスタン、フィリピン、イエメンに派遣されました。
パキスタンでは帝王切開が多く(30 件)、イエメンでは銃創がメインでした。帝王切開でも子宮破裂や前置胎盤など今まで経験したことがない状況も多々ありました。銃創部位は胸部、腹部、切断が必要な四肢と様々です。救急医、麻酔科医はいるのですが、外科医は自分1 人だけです。後方病院は6 時間先です。広範囲熱傷の時には麻酔科医にも手洗いしてもらい、一緒にdebridement、採皮、植皮を行いました。海外ではまさしく“general surgeon” です。
また、日本の医療に対する評価はとても高いことに驚きます。日本人外科医は” 腕が良い”、” つらい状況でも文句を言わない”、“ いばらない” と言われて、そうかもしれないと苦笑いしました。
災害地では学ぶことも多く、自分自身や日本という国を振り返って再認識できるすばらしさがあります。今後も災害医療を継続して行きたいと思っている私を温かく、受け入れて下さる佐田教授を始めとする諸先生方に大変感謝しています。また、そのような医療に興味を持ってくれる若い先生もおり、うれしく思っています。
うちの医局楽しいですよ!!