医学部 School of Medicine

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メッセージ その他

思いがある人が集い、活動する拠点として

美馬市国民健康保険 木屋平診療所(徳島19期)

藤原真治 徳島県

やぶ医者大賞…診察の順番待ちの間に隣室へ忍び込み、「新聞に載っとったけど、先生にお祝いを言うてもいいん?」と看護師に相談する患者さんの声が聞こえてきました。ひそひそ話のような抑えたしゃべり方ですが、難聴気味なので声はやっぱり大きいです。「あれはな、名医ですって賞みたいやけん(原文まま)、おめでとうって言っていいんよ」、「ほんま?お祝いを言うてもいいんやな。診察の時に言うわ」とのやり取りがありましたが、いざ診察の番が来ても何もおっしゃらずに退室されました。疑問が解決した時点で一件落着し、意識から消えたのかも…などなど、楽しい会話や出来事のきっかけとなり、この賞を頂けたことを感謝しております。明らかな名医であれば、楽しいしゃれっ気がある名前の賞だとすぐに分かりますが、私のレベルになると自分なりに頑張っているだけなので、皆さま慎重に意味合いを吟味されるようです。

2つのNPO法人と共に保健・医・薬・福祉・住民が連携した地域医療を行っていること、外部の専門家と連携し地域を対象とした研究を行っていることといった、連携をご評価頂いての受賞でした。医師単体として卓越した存在ではないので、患者さんが受賞を不思議に思い、賞の解釈について最後まで慎重な姿勢を崩さないことは大納得です。表彰式の後、診療所のスタッフは、間違いなく名医に見える同時受賞の同期・花戸くん、養父市長さん、養父市医師会長さんと私が並んで写っているカラー写真つきで報じられた新聞の切り抜きを待合室に掲示してくれました。

こんな私に、この賞に応募するよう働きかけてくれたのが、美馬市長さんでした。ある日、署名され市長印が捺された応募用紙が私の手元に送られて来たのです。とてもありがたく、残りの空欄を埋めて応募させて頂きました。

平成14年、卒後7年目の後期研修を自治医大地域医療学センター地域医療学部門でお世話になり、平成15年に現在勤務している木屋平診療所へ初めて赴任しました。ただ、その後も当診療所一筋で勤務した訳ではなく、4年間の勤務で義務年限が明けたのを機に再び大学に戻り、2年後の平成21年に当地へ再赴任しました。

へき地も大学も好きで、行ったり来たりを繰り返しました。地域では「各論」にどっぷり漬かる機会が、大学では「総論」の視点も踏まえて地域医療を考えたり、地域医療の実践を支える知識を得たり、地域医療づくりを促進する事業や大規模な研究に取り組む機会が得られました。現在、こうした経験が地域医療現場で活動する駆動力になっていると感じます。

私が勤務している木屋平診療所は、常勤医1名で、徳島県内最高峰・剣山(1,955m)の北斜面、山間へき地にある地域唯一の医療機関です。地域人口は、初めて赴任した平成15年の1,200人弱から、今年初めには700人弱まで減りました。高齢化率59%です。夜道を移動する時には次々に飛び出してくるウサギやタヌキ、鹿(衝突すると車が大破します)などをとっさに避けられるよう運転に集中する必要があります。猟師さんが撃った鹿は、ジビエ料理になります。地理的に周辺地域から孤立した地域で、救急車で隣の医療機関まで45分程度、総合病院まで80分程度かかります。救急ではドクターヘリの大きな恩恵を受けています。

平成17年、オール自治医大にて行われた研究で地域医療学部門が事務局を務められた際、当地も研究フィールドとして手を挙げました。当初は「遺伝子」を扱う「研究」という言葉に大丈夫かという空気もありましたが、最終的には当時の村役場や住民の方々にご理解頂け、研究もトラブルなく終了しました。地域では研究に対する過度の警戒心はなくなり、またしてもいいよという雰囲気が生まれました。

徳島県は長く糖尿病粗死亡率の全国ワーストを記録し続けていましたが、当地は県内でも死亡率が高い地域であることが判明していました。自治医大在籍時、坂根直樹先生が特別講義へ来られた際、待ち時間に少し話をさせて頂いていました。この件を先生にご相談したところ、一緒に活動されていた小谷和彦先生と共に、当地の糖尿病死亡率を低減するための取り組みをご指導頂けることになりました。既に地域では研究について理解が得られていたこともあり、新研究実施の話はトントン拍子に進みました。先生方は、事業を行う度、京都、鳥取から駆けつけて下さいました。平成18年に開始した研究は現在も続いており、大学に戻った時にはアメリカへ留学するきっかけになったり、現在もへき地から海外の学会にちょくちょく出張できるネタとして活用したりしています。自治医大卒業生のチームとして、地域の課題をテーマに研究を行うことにこだわり、結果を地域に還元することを大切にするようご指導を頂きました。

地域の課題に対する日常業務を通したアプローチについては、2つのNPO法人と連携する幸運がありました。1つは、地域住民が立ち上げた「NPO法人こやだいら」で、平成20年から有償ボランティア輸送サービスを核とした事業をおこなっています。例に漏れず、当地も患者さんの医療機関へのアクセスは大きな問題でした。本NPO法人により、ドライバー登録をしている住民が、外出の足がなく困っている住民を気軽に安価で送迎する仕組みができました。活動そのものが住民同士の助け合いを促進するユニークなNPO法人として総務大臣表彰を受けられるなどし、マスコミからの取材も多く、ますます活発に活動されています。診療所は、この法人の活動と訪問診療とを合わせて地域の外出困難者をほぼ全て網羅できるようになりました。

もう1つは、地域医療に貢献することを目的に有志薬剤師さんが立ち上げられた「NPO法人山の薬剤師たち」です。平成21年、自治医大から当地に再赴任した直後、現理事長さんから一緒に地域医療をやりたいとの申し出を頂きました。毎週のように深夜に至る話し合いを重ねて協働の構想を練り、平成22年、こやだいら薬局を開店する運びとなりました。美馬市木屋平総合支所は、開店セレモニーを企画して下さるなど地域の歓迎ムードを盛り上げて下さいました。開店後も、業務終了後は毎日1~2時間に及ぶミーティング(雑談)で思いを語り合い続けました。そうしているうちに、単に地域医療を支えるマンパワーが増えただけに留まらず、きめ細かい訪問により在宅医療が充実し、より確実な薬物治療が実現し、当地の地域づくり活動もパワーアップしたと感じています。理事長さんは、薬剤師さんが地域医療で不可欠の存在として活躍する時代が来るよう、地元大学の薬学部教授として薬学生への地域医療教育にも熱心に取り組まれています。

当地では、この2つのNPO法人が頑張れば頑張るほど、地域医療の質が向上する仕組みができました。私は、両法人が力を発揮できる環境をつくり、その活動が当地の地域医療体制の中で効果的に機能するよう調整するのみでした。現場の医師としての能力に、かなり高い下駄を履かせてもらっています。

養父市では、手作りの温かさを残しつつ、華やかにショーアップされた素晴らしい表彰式、楽しい懇親会など心からのおもてなしに感激しました。前回受賞された十枝めぐみ先生、白石裕子先生、審査員の武田以知郎先生からのメッセージも拝見し、とても嬉しかったです。同じく審査員として懇親会から参加されご祝福頂いた中村伸一先生には、最後の部屋飲みまでお世話になりました。やはり審査員の岡山雅信先生には、翌日、表彰式の様子を伝える新聞のPDFを神戸からお送り頂きました。先生には、学生実習でご担当頂いたことが縁で、学位取得のご指導からここに至るまでお世話になり続けています。

平成29年、当地には、中学校の空き校舎や体育館を改修した複合施設がオープンする予定です。そこには、市役所の総合支所、郵便局、農協、消防、薬局、医科・歯科診療所などが集います。目の前には、ドクターヘリや自衛隊へりが離発着できる運動場もあります。今後は、複合施設を核に、地域医療、地域づくりに取り組んでいきたいと考えています。

最後になりましたが、今年度にてご退官される梶井英治先生にお礼の言葉を述べたいと思います。先生は、義務明けの時点では再び大学に帰らず診療所に残ろうと決心していた私に、「長い医師の人生、この節目に現場から少し離れて地域医療を考える機会を持つこと、これまでの自分を振り返り、これからのことを考える時間を持つことは、間違いなく貴重な財産になります」という言葉で道をお示し下さいました。今、まさにお言葉通りだったと実感しています。そして、再び地域に戻った後も、見守り、ご指導し続けて下さいました。今回、ご退官される先生にこのタイミングで感謝の言葉をお伝えする機会が得られ、とてもありがたく思います。梶井先生、これまで本当にありがとうございました。

そして、最後の最後に、間藤方雄先生に感謝の言葉を述べさせて下さい。突然のご訃報に接し、ただただ驚き、悲しみの思いでいっぱいです。学生時代、先生には厳しくも人情味あふれるご指導のもと、中国医大に留学する道をひらいて頂きました。教授室で、中国医大がある遼寧省瀋陽市で過ごされた少年時代のお話しをよく伺いました。中国の友人が、条幅に一筆したためて私に書を贈ってくれたのをご覧になり「交流が本格的になってきたな」と愉快そうに笑っていらした時のお顔は忘れられないです。インターネットやスマートホンがない時代の異国で、現地の先生や学生に親身になって助けてもらいながら勉強したり一緒に出かけたり、留学生宿舎で様々な国の学生と楽しく生活を共にした1年間は、自分にとってかけがえのない経験でした。心より感謝しております。在りし日のお姿を偲び、心からご冥福をお祈りいたします。

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