医学部 School of Medicine

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メッセージ リレーエッセイ

地域の消化器内科医として

深谷幸祐

那須南病院 内科(栃木31期)

深谷幸祐 栃木県

医師として9年目、これまで消化器内科を志してやってきた。

学生気分の抜け切らないまま、母校である自治医科大学附属病院での初期臨床研修が始まった。大学病院というアカデミックで壮大な環境の中、60人の多様な同期と切磋琢磨しながら、目まぐるしくも楽しい医師としての第一歩を踏み出した。

3年目からは上都賀総合病院という県西にある350床の地域中核病院に内科医として勤務した。内視鏡・エコー・外来・1人での当直など初めてのことばかりで、なんとか他の先生方に迷惑をかけないよう、内心冷や汗をかきながら必死の日々であった。見知った先生はほとんどおらず、始めの頃はストレスの捌け口を求め、研修医時代の友人を無理やり飲みに誘っては愚痴っていた。徐々に医療スタッフと打ち解け、他の先生方にも馴染み、温かい指導を受けながら内科医としての基礎を築いていった。

5年目からは湯西川診療所という栃木の最果ての山奥で、診療所長という自分にまったくそぐわない役職を掲げ、穏やかながらも偏屈な地域住民患者を相手にのんびり診療にあたった。消化器内科医でありながらほとんど内視鏡を握る機会もなく、大学勤めの同期がかれこれの手技を初めてやったなどとの情報を羨ましくも横目でやり過ごしていた。焦りと半ば諦めの中で葛藤していたが、懐深い大自然の中でそれも次第に薄れていった。思い返せば、初めてヤモリや熊肉を食し、冬の大雪や凍える寒さと戦い、周りに何もない環境で子育てに四苦八苦し、人生でそうない貴重な経験ができたのだろうと今になってようやく思えるようになってきた。

7年目は日光市民病院という日光東照宮にほど近い100床の病院に派遣された。割とまったりした診療環境で、医療関係者どうしの距離も近く和やかな雰囲気のなか、診療所生活で鈍った臨床能力を少しずつ呼び醒ましていった。

8年目は自治医大の消化器内科に後期研修を希望した。栃木は久しく後期研修が取れない状況が続いていたが、諸先輩方の尽力の成果もあり平成26年度からようやく解禁された。そんな経緯もあって、やや遅い後期研修となった。これまでとは打って変わって、多種多様な人々が忙しく交錯し、入院患者も目まぐるしく入れ替わる環境に慣れるまでは苦労した。それでも、毎日のようにあるカンファや最先端の技術、熱い情熱と豊富な知識を持った先生方に囲まれ、朝から夜遅くまでどっぷりと消化器内科に浸かる環境は刺激的で大変勉強になった。大学病院というところは、流れに身を委ねていても忙しい日常業務と膨大な情報に揉まれ、ある程度は成長しているものである。それまで「消化器内科医です」とはとても胸を張って言えたものではなかったが、この1年の経験を通して少しは自信を持つことができた。

そして9年目の現在は、県東の那須烏山市にある那須南病院という150床の病院に内科医として勤務している。那須と聞くと栃木の北の方の楽しそうな観光地を思い浮かべるかもしれないが、那須烏山市は宇都宮市のほぼ真東に位置し、山に囲まれたのどかで自然豊かな地域である。つまり高齢化の進む片田舎である。そんな2万7千人が暮らす市の中心部に建つのが那須南病院である。最寄りの高次医療機関までは車で1時間弱かかるため、地域の基幹病院として重要な役割を担っている。内科常勤医は7名であり、消化器内科は自分だけである。

これまでは指導医のいる恵まれた環境に甘んじてどこか気楽にやってきたが、ここでは少なくとも消化器内科疾患に関してはすべて自分が責任を持たねばならない立場となった。後輩たちに実際の手技や月1回の内視鏡カンファを通して内視鏡の技術や知識を教えつつ、消化管出血に対する緊急止血や、ERCPでの胆道結石治療・胆管癌治療などにもなるべく対応するようにしている。早期胃癌や大腸癌に対する内視鏡的粘膜下層剥離術(ESD)も、自治医大から非常勤で来る上級医の指導の下で術者を務め、数少ない症例から多くのことを学ぶよう努力している。自身も週に半日だけ自治医大に内視鏡を学びに出入りしており、悩んだ症例を相談したりしている。

立場が変われば考え方や姿勢も少しは変わるもので、これまで関心のなかった内視鏡の器具を自分なりに調べて新しいものを導入したり、内視鏡の前処置に関して既存のものを見直したりもした。痛感するのが自分の未熟さと、周囲との連携の大切さである。内視鏡に携わる医療スタッフの理解と協力が得られなければ業務は立ち行かないため、コメディカル向けの勉強会を定期的に開催し、極力ざっくばらんな会になるよう心がけている。広範な消化器疾患を未熟な消化器内科医が1人で背負える訳もなく、外科との密な連携は必須である。幸い当院の消化器外科はもともと親交のあった先生方ばかりで、顔を合わせれば情報交換する仲であり、垣根の低さには自負するものがある。地域の開業医との連携も欠かせず、医師会で内視鏡状況をアピールしたり、他科疾患でも丁寧な診療情報提供を心がけたりし、安心して紹介してもらえるだけの信頼を得られるよう努めている。

高次医療機関から距離があるため、高齢者の多い地域住民の通院の大変さを考えると、なるべく自分の病院で一通り対応できるようにしたいと思う。一方で、適切な紹介のタイミングを誤ると患者の命を縮める結果にもなるため、常に自分の力量を見極め、内視鏡時なども頭のどこかで冷静に状況を俯瞰する視点を忘れず、時には撤退を決断しなければならない。今の自分には荷が重いが、責任感や充実感を味わえる立場でもあり、自分の力の及ぶ範囲で背伸びをせずに楽しんでやっていければよいと考えている。

今の病院は自治医大卒業生が多く、学生時代を共に過ごした先輩後輩もたくさんいる。なにかの拍子に医局で数人が集まって談笑するが、話の内容のくだらなさを考えると、自分も含めて学生時代から内面はほとんど成長していないことに気付く。しかし、ひとたび医療の話となれば後輩たちの頼もしさに感心し、気の置けない間柄で実際に助けられることも多く、感謝している。上司には思いつくままに子どもの戯れ言のようなお願いをちょいちょいしているが、皆真剣に耳を傾けて考えてくれ、その懐の大きさと寛容さには感服するばかりである。好き勝手やっている消化器内科医を陰で支えてくれる医療スタッフにも頭が下がる。

これまで自治の卒業生として、県から派遣されるがままに様々な医療機関を経験してきた。積極性に欠け、一所に留まると徐々に怠惰になっていく面倒くさがりな性格の自分にとっては、大変にありがたい環境であった。これから地域で活躍する後輩たちにとって、思い描いた医療が少しでもやりやすい病院になってくれればと願う。これまで先達が積み上げてこられたように、微力ながら自分もその一助になっていれば幸いである。

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