医学部 School of Medicine

医学部

School of Medicine

インタビュー

(2020年3月 取材)

専門性の高い科を学びつつ希少な病気も手遅れにしない地域の医師を目指す

阪哲彰

自治医科大学付属病院 血液科

臨床助教阪哲彰 岐阜県

2012年、自治医科大学卒業。
岐阜県で地域の中核病院やへき地の診療所での地域医療従事。
その後、入学時からの目標だった血液の専門医となるため、2019年から自治医科大学附属病院に在籍する。

小学生の時に抱いた決意を実現するため自治医大に入学

現在は自治医科大学附属病院の血液科に籍を置いています。母校のキャンパスに戻ったのは2019年の春で、目的は血液専門医の資格を取るため。血液科の診療や血液学研究で全国屈指の実績を誇る附属病院で丸2年、診療とそれに基づく臨床研究、および病棟で学ぶ学生の指導を務めます。

血液を専門とする医師になることを決意したのは、小学生の時でした。小学校を卒業するまで暮らした北海道の町は、通学に1時間もかかるようなへき地。医療環境も十分ではない地域で、仲の良かった友人を白血病で亡くしました。白血病と診断された時は、すでに病気が進行していたのです。白血病のような希少な病気は、へき地の医療環境で治療することはもちろん、早期に発見することもままなりませんでした。大切な友人を亡くした体験とともに、へき地医療の現実を子供ながらに知った私は、このような血液の病気を治せる力と、血液分野に限らず発見されにくい病気を地域にいても早期に見つけられる診断力とを併せもつ医師になることを、将来の目標に定めました。先端医療と地域医療の両方を学べる自治医科大学は、ほかにはない進学先でした。

自分で決めた一つのことに注力し残した成果が礎となる

入学後も、目指す将来の医師像が揺らぐことはありませんでした。とはいえ医学部で学ぶべき範囲は広く、身に付けなければいけない知識の量は膨大です。学修に関して在学中を振り返ると、苦労したことしか思い出せません。それでも血液学のテストだけは、講義、実習ともほぼ満点を取り続けました。自治医大で学ぶ学生は、地域医療に求められる総合医療の力を身に付けることを第一の目的とします。在学中は専門を片寄らせることなく、臨床全般を幅広く学ぶのです。そのため血液学に突出した私は、自治医大の中では珍しいタイプの学生だったといえるかもしれません。何かの科目に突出した学生は得てしてその科目だけに凝り固まる傾向にありますが、自分が地域医療の場で血液学だけでなくあらゆる分野の疾患を診療できたのは、学生時代に満遍なく学習を受けてきたおかげだと思っています。

もともと血液科は、これを専門とする臨床医が少ない分野です。循環器内科や消化器内科など患者数が多い診療科では、その分医師の数も多い傾向にありますが、血液科は地域や県によってかなり人数の差が激しく、例えば地元の岐阜県内で臨床の現場にいる血液専門医の人数は、本学の血液科に所属する医師の数を下まわるほど。血液の病気は白血病のような希少疾病が多く、患者数も少ないですがその分致命的になることも多く、患者1人1人に集中した管理が求められます。

もっとも私の場合、一つのことに集中して力を注ぐことは性に合っているようで、陸上競技部ではハンマー投げで医学系大学の大会で優勝し、インカレにも出場しました。ハンマー投げを始めたのは自治医大に入学してからのこと。それまで続けていた長距離走から投てき種目へコンバートしたこと自体、ごく稀なケースだと思いますが、熱中し始めると一定の成果を挙げられるタイプなのかもしれません。少なくとも、自分で選んだことに多くのエネルギーを注いだ学生時代の経験こそ、今の私の礎になっていることは間違いないでしょう。

地域医療を通して自覚した力不足の現実と使命感

血液の病気を深く理解したい私も、卒業後はもちろん、岐阜県内で地域医療に従事しました。初期研修を含めて私が所属した医療機関は、全て県の北部にありました。岐阜県の北部は高山市や白川村、下呂温泉など観光名所は多いものの、高齢化や過疎化が進み、“医療の谷間”があちらこちらにある地域です。初期研修を終えて籍を置いた地域の中核病院も、高齢者を中心とした患者さんが常にあふれていました。臨床での経験、知識ともに未熟であった私は、多忙な医療現場に十分に貢献できていないことを自覚し、医師としてのキャリアを断念せざるを得ないのではないかと、落ち込んだ時期もありました。しかしそんな私を救ってくれたのも、地域医療の現場でした。

中核病院を離れ、医師が数名の診療所に着任し地元住民の一人として迎えられてからは、備えられた設備と自身の力に応じた医療を、身近な患者さんに提供できるようになったと思います。二人医師の東白川村国保診療所では夏祭りの企画・運営スタッフとして働いたり、地元のケーブルテレビで健康講座の番組を担当したりもしました。一人医師の久々野診療所にいた時は、大型台風の水害や土砂災害により地域が陸の孤島と化したこともありました。役場や消防署の方々と協力し、避難所に詰めたことも、医師としての使命を強く自覚する貴重な経験になりました。

そうした思い出深い地域を離れる選択は容易ではありませんでしたが、私には血液の専門家になるという目的があります。自治医大に戻ったのは、最先端の医療現場で得られる血液を診る医療や、血液を通して全身を診る医療を、一日でも早く地元に持ち帰りたいからです。来年岐阜に帰る際は、ひと回りもふた回りも成長した医師となって地域医療に貢献したいと考えています。

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