医学部 School of Medicine

医学部

School of Medicine

インタビュー

(2024年度 取材)

最期まで笑顔のある暮らしがしたい。そんな住民の想いに寄り添っていく。

井上大輔

東京都奥多摩町国民健康保険
奥多摩病院 院長

井上大輔 東京都

自治医科大学医学部臨床教授 ( 地域担当)
総合診療専門医特任指導医
総合診療医

東京都の最西端に位置する奥多摩病院

 奥多摩町の人口は4,600人で高齢化率は51%と高く、奥多摩病院では医師4名で住民の健康を見守っています。病床数は41床。高度医療は行えませんが、年齢層、疾患、受診形態に関わらず患者さんの「奥多摩の地域の中で診てもらいたい」というニーズに合わせた医療を提供しています。私は総合診療科の医師としてあらゆる疾患に広く対応しており、患者さんの背景や地域特性を考慮した医療の提供をはじめ、地域における医療福祉のリーダーとして患者さんに最適な地域包括ケアを提供するよう心がけています。

 奥多摩は古き良き日本の文化が残っている場所です。自然と隣り合わせの中で人々は大自然の恩恵を受け、時には過酷な環境に耐えながら声を掛け合い助け合って暮らしを営んでいます。「生まれ育った奥多摩で最期を迎えたい」そんな人としての本質的な幸せを実現するために、医療福祉サービスを提供できる一人の医師として人々に寄り添いながら、地域住民とともに奥多摩の良さを守っていきたいと考えています。

無理な延命はしないという選択肢を学ぶ

 最初のへき地勤務は新島でした。内地と数百~千数百キロ離れた島しょでは、医師1~3人体制でどんな疾患にも対応しなければなりません。私が担当した新島の患者さんは80代の高齢者で末期の前立腺がんを患っていました。専門的医療は望まれず島での在宅医療を希望されていましたが、食事が十分に取れなくなったため補助栄養手段として経管栄養、中心静脈栄養、末梢点滴などできる限りの処置を検討しました。新島に着任する前は都立広尾病院で初期研修を受けていましたが、当時の大病院では強制的に栄養を摂取させる医療が一般的だったからです。そんな私を見た島の看護師さんが、「先生、人は亡くなる瞬間に点滴をしていなくてもいいんだよ」と教えてくれ、大きな衝撃を受けました。それからご家族と相談して点滴や経管栄養などは一切しないことを選択。患者さんは自宅で大勢の家族に見守られながら静かに亡くなられました。この時に初めて患者さんの生活やご家族の考え方などを見つめる、へき地ならではの医療を行うことができたのです。

親しみのある地元で余生を送るために

 奥多摩病院には義務年限が終了した翌年から勤務し、2018年から院長として病院の運営にも携わっています。私も含めて医師4名全員が総合診療医で、まさしく真の地域医療を実践しています。「人生の最期は自宅で過ごしたい」と願う人のために、自院の医師や看護師、理学療法士、薬剤師がご自宅を訪問し暮らしを支えています。そして、患者さんやそのご家族とACP(アドバンス・ケア・プランニング)、いわゆる終末期についての話し合いを率先して行い、在宅での看取りを進めています。一方で、へき地では介護士など自宅生活を支援してくれる人が足りず、生活力が無くなると福祉施設に移らざるを得ない方も多くいます。そこで、せめて第二の家である老人ホームで看取り、奥多摩の中で生涯を完結させてあげたいと地域の特別養護老人ホームと連携した地域包括ケアを実践しています。

奥多摩は地域医療を学ぶ最高のフィールド

 東京都の都心部には医師がたくさんいますが、奥多摩のようなへき地に勤務したいと考える医師はとても少ないのが現状です。その中でも最近は地域医療に従事したいという若い医師も増えていることから、2018年に総合診療専門医を養成するプログラム「おくたま清流塾」を立ち上げました。都内の病院に勤めている若い医師を集め、奥多摩病院で研修を行います。私は自治医科大学の梶井名誉教授から、へき地医療の真髄は「目の前の患者さんから逃げないこと」と教わりました。都心部なら「専門外なので診られない」で済むかもしれませんが、山間部や島しょ部では目の前に患者さんがいたら自分が必死に頑張って対応しなければなりません。つまり「逃げられない」のです。このようなマインドや地域包括ケアの仕組みを学んでもらい、将来は様々な地域で活躍していただきたい。そのために今後も人材育成に力を注いでいきたいと考えています。

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