医学部
School of Medicine
(2021年度 取材)
地域医療を紡ぐため医師として先導し住民として協働する
長野原町へき地診療所
所長金子稔 群馬県
2011年、自治医科大学卒業。群馬大学医学部附属病院での初期研修後、同病院の救急部に。2015年、長野原町へき地診療所の所長に着任し今に至る。この間の2017年には、群馬大学大学院医学系研究科を修了し、博士号を取得している。
看護師が大笑いできる医師と患者の信頼関係
「読まね」。一人暮らしをする92歳の女性は即答した。自宅を訪問した金子稔が、これから接種する新型コロナワクチンの注意書きを読んだかと尋ねた時だ。「心配なことは?」と問えば、間髪を入れず「なんもねえーね」と返ってくる。言葉は無愛想だが、医師を信頼しきっているからであることは、金子に同行した看護師が2人のやり取りに大笑いしていることからも分かる。
午前の外来でも、「(ワクチンは)先生が打ってくれよ。先生の注射なら痛くねえーから」と金子に求める患者がいた。もちろん、集団接種の場では応えられないご指名だ。金子は「会場にぼくもいますから」と苦笑いをしてなだめていた。
群馬県の北西部、長野県軽井沢町に隣接する、標高700~900mの地域で見た医療の風景である。
アンケート調査の結果から始めた土曜診療
長野原町へき地診療所の所長として、金子が着任したのは2015年。義務年限が5年目を迎えた年だ。直前の職場は大学病院の救急部。一分一秒を争う命の瀬戸際に、先端医療を惜しみなく投入する経験をしてきただけに、仕事環境は一変した。「時間の流れ方が、全く違っていた」という。
人工の光に満ちた密室から、木立を抜けた涼風が吹く診療所へ。そこでは確かに、時聞が人を急かさない。とはいえ、初期研修を含めて4年しか臨床経験のない医師が、周辺に暮らす2,500人の健康を、診療所を運営しながら支えることが重責であることに変わりはない。これを果たす足がかりとして、金子は着任早々、診療所の患者に向けたアンケート調査を実施した。
「診療所の立ち位置を確認したかったことが理由の一 つ。診療所運営の方向を探る手がかりになりますから。もう一つは、改革が必要になって県や町と交渉する時の、根拠にしたいと思っていました」
アンケートを集計すると、土曜診療を求める声が多かった。金子は当初の計画通り、調査結果を携えて自治体と交渉。看護師や事務職員には意向を確認したところ「土曜も開いたほうがいい」と、出勤が増えることを嫌がることなく歓迎された。金子は度々「自分は運がいい」と語る。その理由の一つに、住民を優先する地域医療のあり方に共感し合えるスタッフに恵まれたことをあげている。
土曜診療を始めた金子は、在宅看取りにも取り組もうと考えた。その背景には前職で、医療機器と、駆けつけることができたわずかな近親者に囲まれて亡くなる人を見て抱いた「患者本人や家族が望むならば、住み慣れた自宅で最期を迎えてほしい」という思いがあった。
住民の意識を変え在宅看取りを増やす
診療所に、在宅看取りの実績はなかった。住民にも「家にまで来てもらうのは申し訳ない」という”遠慮”があるようだ。その壁を解消するため、金子は診療所を出て地域の輪に入っていくとともに、自身の携帯電話番号を公開し、365日24時間、病態の急変に対応した。やがて以前は年間数十件だった在宅診療は300件以上に増え、実績のなかった在宅看取りも今では20数件を数える。
診療所の着任時、実は金子の所長としての任期は通例で3年だった。しかし自ら「10年やらせてほしい」と申し出て今に至っている。
「地域医療の態勢や意識を変え、定着させるためには、10年は必要と考えました」
目指すのは、地域包括ケアシステムの一翼として 診療所の医療を、多職種と効果的に連携させること。そのためには、これに関わる人の意識改革と環境の整備も必要。金子はこれを「医療を紡ぐ」と表現する。所長に就任して7年目。長野原町を「なんとなく好き」と語るカの抜け具合が、地域の内側から医療を見ている安定感をうかがわせた。
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