医学部
School of Medicine
美浜町専門医として地域に住む
美浜町東部診療所(福井21期)
村寄文人 福井県
診療所で地域医療を続けながら生きていこうと決めたのはいつだっただろうか。自治医科大学の学生時代には、地域医療を担う人間にならなければならないという自覚があった。しかし、地域の医師として医療を提供する自分の未来像をイメージできてはいなかった。もし、今、大学生の自分に話しかけるとしたら、こう言うだろう。「卒後22年目の君は、福井県の地域で想像もつかないほど充実した生活を送っているぞ」と。
私が勤務する東部診療所は福井県美浜町にある。福井県・美浜町の紹介を少しさせていただくと、まず福井県はオタマジャクシのような形をした県であり、オタマジャクシの頭の部分を嶺北、しっぽの部分を嶺南と呼ぶ。そして頭としっぽの付け根あたり(嶺南の東部)にあるのが美浜町である。福井県だけでみれば、県の中央に位置するが、人口は9600人足らずで、高齢化率の高い町である。原子力産業、漁業、農業、観光業が中心の町で、商業は少ない。隣の敦賀市に買い物に行くことも多いわけだが、少し見栄を張ると「原発の銀座」とは呼ばれている。
嶺南は嶺北に比べ医療の提供体制に課題が多い。自然と福井県の卒業生は嶺南エリアで活躍することも多い。私も卒後4年目と5年目には嶺南の美浜町にある僻地診療所で一人の医師として勤務した。その勤務が今の私の生活のきっかけとなり、診療所勤務は自分に向いているかもしれないと思ったのを覚えている。私は内科医として義務年限を過ごし、その間に2つの診療所での勤務を経験したが、いつも楽しいと感じながら勤務できていた。地域が変わっても診療所で勤務する楽しさは変わらないことにも気づかせてもらった。個人的な感覚かもしれないが、「地域医療は楽しい」という実感が今の私の中でも原動力になっている。きっと同じ感覚をもって、地域で活躍している卒業生も多いのではないかと期待してしまう。
義務明けの医師10年目の時に、私は今後の勤務先を美浜町東部診療所に決めた。美浜町に移住し今年で13年目に突入したが、過去に短期間勤務した頃と比べると、一味違った地域医療というものを実感している。地域医療には住民とともに生活をして地域に溶け込むことが大切だといわれるが、本当に溶け込むことが大切なのだとしばしば痛感するのだ。
13年前の私は“美浜町専門医”になろうと考えていた。当時は専門医機構もなかったので、このネーミングにはやや無理があるがお許しいただきたい。勝手に美浜町専門医の定義づけを行うならば、美浜町住民の方が心身に関して初めに相談を持ちかける医師の事とでも言おうか。今ではかかりつけ医という言葉が適しているかもしれないが、当時の私にとっては目標とでもいうべき重要なスローガンであったのだ。
この13年間を振り返って美浜町専門医(かかりつけ医)の一番重要な役割は何かと問われれば、やはりそれは、より気軽に相談できる親和性と、ニーズに応えることで生まれる人々からの信頼だろう。かつて初めて診療所に勤務した際に感じた地域医療の楽しさは、この役割を少しだけ果たせた達成感であったのかもしれない。診察室に来られる患者さんは自分の体や心に不安を持ってやってくるため、不安の原因を探り、解決へと導くことで安心がうまれる。在宅医療やターミナルケアなどにおいては、医師はより一層身近な存在として機能することを望まれ、医師に求める安心への期待は自ずと大きくなる。美浜町専門医には親和性と信頼の上に立ち、安心を提供する事がいつも求められる。わずかまだ13年の経験からであるが、この期待に応え続けてゆく意味は非常に重要で、今後も継続しなければならないと実感している。
診療所で相談を受ける対象疾病が多岐にわたることは言うまでもないが、対象年齢も0歳から104歳(現在通院している最高齢)までと幅広い。また、求められる医療分野も様々で、乳幼児の予防接種や整形疾患も含めた総合診療となっている。医師と患者は疾患を通し個々にもつながってゆくが、地域に溶けこむという感覚は、医師が地域全体のニーズに応えてこそ生まれるように思う。美浜町専門医としては、医療を利用したいといういろいろな分野、組織にまで配慮し、社会全体を診るという一面も意識するようになった。学校医や保育園医、原子力発電所内で働く従業員に対しての産業医としての役割も大きい。毎年の地域のマラソン大会や地区のスポーツ少年団の救護ドクターとしての協力依頼もある。2018年度の福井国体でも一役を担うこともあった。近年は認知症対応も不可欠であり、認知症サポート医としての役割や、健康づくりの観点からは健康スポーツ医としても意見を求められることがある(場合によっては栄養指導などもある)。学生のころには絶対に知り得なかった地域のかかりつけ医が果たすべき役割がこれらであり、この多様性も私を楽しくさせるのかもしれない。
現在、私の周りには、同じ考えを持つ多職種のスタッフや顔の見える関係の知り合いもずいぶん多くなった。地域の住民からはあだ名もつけていただいて、理由はないが、“ジョニー”と呼ばれている。学校医の仕事で小学校に行くと、小学生から「あっジョニー先生だ、こんにちは」と声をかけられたりもする。あだ名をもらえたことは、この地域の医師として認められているようで、地域に溶け込んで活動できているご褒美のようにも感じる。
私は美浜町職員でもあるため、地域行政からも意見や協力を求められる。各種会議にも参加する機会が多いが、格好良く言えば美浜町の有識者会議だ。代表的なものを挙げても、美浜町国保の運営協議会、美浜町介護保険の運営協議会、美浜町健康づくり推進協議会、美浜町要保護児童対策協議会(虐待委員会)、地域包括ケアシステムの一環として行われる地域ケア会議、学校保健会など、医療だけでなく福祉分野への関わりもここ数年でぐんと増えた。医療行政や福祉行政にかかわりを持つことは、多くの美浜町住民の未来を大きく動かすことでもあり、これもまた美浜町専門医の目指すところだろう。この役割は人命を扱うのと同じくらい重く緊張する。資料一つを読むにしても、発言するにしても事の重大さを常に感じる。そしてこれらの貴重な経験は私自身を成長させ、私の生活を充実したものにしてくれているのだ。
このエッセイを作成するにあたり改めて自治医科大学のホームページを見たところ、自治医科大学設立の趣旨には、「医療の恵まれないへき地等における医療の確保向上及び地域住民の福祉の増進を図る」と記載されていた。この趣旨に現在の自分を照らし合わせてみると、大きな相違はないと感じ安心した。また、地域医療を行っている自分を再度見つめる良いきっかけとなり、やはり地域医療に従事する生活は楽しいものだと再認識した。医師の偏在問題や、医師不足という課題が深刻化しているこの時代、私のような地域の医師が、地方の診療所で働く楽しさをもっとPRすべきかと思う。もし、地方の医師の生活は孤独で・寂し
く・厳しい勤務を伴うものだろうと不安がっている人がいれば、まず美浜町に1歩踏み入れてみてほしいと思う。地方の診療所勤務医に興味をもって転職してみたいという人が出てきたりしたら本当にうれしい。
ただ、この美浜町東部診療所での勤務医という立場は、まだ誰にも譲りたくないのではあるが…。
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