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第67回保健文化賞受賞のご報告

鹿児島赤十字病院(鹿児島9期)

永井慎昌 鹿児島県

はじめに

今回、第67回保健文化賞を受賞いたしました。このような、身に余る栄に浴することが出来ましたのは、偏に同窓生の皆様はもちろん関係の皆様方の御支援・御厚情の賜物であると心より感謝いたしております。

この上は、微力ながら、今後も地域医療の発展のために誠心誠意努めて参る所存ですので、関係の皆様方のより一層の御指導・御鞭撻の程、宜しくお願いいたします。

吐噶喇列島悪石島診療について

受賞の理由は、「20年以上の長期に亘り、三島村及び十島村の診療に従事し、保健・医療・福祉の向上へ貢献した。」ということです。私は昭和61年に大学卒業後、平成3年からこの地域の診療に従事しております。最初の印象は強烈でした。吐噶喇(トカラ)列島は、書けないし読めません。その上、悪石島とは!何で「悪」なの?私自身、当初この島だけは行きたくないと思っていましたが、今では中毒のように喜んで診療している大好きな島となったのです。まずは、両村の診療の概要を紹介いたします。

三島村及び十島村は屋久島から奄美大島の間に点在する10の島々からなり、各島に50~200名程度の人々が居住しています。各島に診療所が設置され看護師が常駐。両村とも村営のフェリーがほぼ唯一の交通手段であり、鹿児島市から一番近い三島村竹島まで片道約3時間、一番遠い十島村宝島まで約13時間の船旅です。宝島を例にとれば、往復26時間の船旅で、実質5時間前後の診療を2泊3日の日程で行うことになります。行政担当者からも「日本で最も効率の悪い診療」と表現されるくらい、移動の負担の大きい診療です。しかし、何でも日本一は目立つらしく、今回の受賞も日本一不便だったことも大きな要因なのかなあと思っ
ています。

平成3年当時は、比較的人口の多い三島村の3島と十島村の3島に月1回、十島村の3島は2カ月に1回、人口が最少の小宝島には(たった)年2回、巡回診療を行っていました。診療内容の充実に努め、現在では各島に月2回程度の巡回診療が行われています。又、両村住民からの常駐医師派遣の強い要望に答え、平成12年に三島村に、平成14年に十島村の上4島担当として常駐医師の派遣が実現。鹿児島県内から無医村が無くなりました。

診療所内の診療機器も整備してきました。特徴的な取り組みとしてITを活用した遠隔診療も積極的に導入しました。平成2年に全国に先駆けて一般電話回線を使用した画像伝送システムを導入し画像診療を開始。平成11年よりE-mail、TV電話及び画像連携ネットワークシステムを導入。平成24年度には各診療所と両村役場、鹿児島赤十字病院がTV会議システムで接続され、モニターの前での診療が可能となりました。救急患者の搬送は、ほぼヘリコプター(以下ヘリ)で行っています。年間20件前後のヘリ搬送を行っており、当初は、自衛隊ヘリの出動を要請し緊急搬送していました。その後、県の消防防災ヘリが平成10年に運用開始。平成23年より鹿児島市を拠点としたドクターヘリの運用が開始されました。両村の急患ヘリ搬送については、搬送手段の選択肢が格段と増える形となりました。又、医療人育成にも協力しています。両村で、自治医科大学、鹿児島大学、岡山大学等の医学生等の地域医療実習を受け入れており、特に自治医科大学の学生については、両村での実習を履修した医師がその後両村の医療を担う状況が実現しています。

住民の方々のささやかな希望は、「島で最後まで暮らしたい。」です。しかし、介護力の問題等々で自立贈呈式
テレビ会議システムによる遠隔診療のデモ 悪石島のボゼ祭りが困難となると島を離れるという現実があります。現在、島で看取ることが出来る体制の整備を最重要課題として取り組んでおります。

石の上にも20年

今回の受賞の連絡をいただいた時に、なぜか以前聞いた漫才を思い出していました。昭和50年代の漫才ブームの頃のテレビ番組で、伸助・竜介の漫才が放映されていたのです。竜介「今朝の新聞をみたか?駅のゴミ拾いを20年続けたオバチャンが、表彰されたらしいぞ!」、伸助「何言うてんねん。20年もやってられるか。一発で新聞に出るエエ方法があるで」、竜介「一発!何々、教えて!」、伸助「線路に石を乗せとくんや。次の日は1面トップやで。」、竜介「それは確かに簡単やなあ、、、え!それって犯罪ちゃうん?」チャンチャン!という、文書で書くと面白くもなんともありませんが、独特の掛け合いと適度にド突きがはいり大爆笑でした。その時、笑うことも無く冷静に、「20年くらいで表彰されるのなら、是非やりたいけどなあ。」と思っていた自分がいたのです。そんなことは、すっかり忘れて日々を過ごしていたのですが、いつの間にか、足かけ23年目に入っていたのでした。正に「続けることは力なり」を実感した次第です。

忘己利他は、忘己利我?

自治医大の卒業医師なら「忘己利他」は皆さん御存知だろうと期待していますが、もしかしたら最近卒業された若い先生方はどうなのでしょうか?私なりには、文字どおり、「己のことは顧みることなく住民の方々のために尽くす。」というような意味であろうと理解し、自治医大卒業医師の崇高な理想を表していると思っています。私は到底、この境地にはたどり着いていないと自覚していますが、今回の受賞で更に矛盾を感じずにはいられませんでした。今回の受賞を住民の方々は、我がことのように喜んで下さいましたが、結局自分自身が一番得したようで、申し訳ない様な気がしたのです。「情けは人のためならず」とも言います。利他を目指せば目指す程、己に還ってくるものだなあと感じます。

終わりに

「進んで地域の医療・福祉に貢献する気概ある医師を養成する。」、自治医科大学の建学の精神の中で私が最も好きな一節です。この気概を忘れてはいないだろうか?と自問自答する毎日です。住民の方々は、いつも笑顔で迎えてくれて、時化の時などは「船が揺れて大変だったでしょう。」と気遣ってくれます。11時間に及ぶ船旅の疲れも一気に吹き飛びます。23年目に入った離島診療で、解決出来た事案もあり随分良くなったなあとも自負していますが、その時々の新たな課題が山積しており、まだまだ道半ばというのが実感です。前述の気概を胸に秘め、住民の方々の笑顔を糧にして、離島診療を継続していきたいと考えています。

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