医学部 School of Medicine

医学部

School of Medicine

インタビュー

(2023年度 取材)

病気だけではなく「人を診る」ことができる地域医療マインドを持った専門医に

中村豪

宮崎県立宮崎病院

外科部長・地域医療科部長中村豪 宮崎県

県立病院で外科部長と地域医療科部長を兼任

 県立宮崎病院の「地域医療科」は2005年に設立されました。これは独立した診療科ではなく、メンバーはそれぞれの専門医として各診療科に所属しながら地域医療科にも籍を置き、へき地の医療機関での代診や出張診療を行っています。そもそも、自分たちがへき地医療に従事している際に一番困ったのが、研修などの不在時に応援してもらえる仕組みが県立病院になかったことでした。そのため、へき地医療に従事する医師がほかのへき地も往診しなければならなくなり、例えると「老老介護」のような状態で負担が大きかったのです。そこで、県立病院で地域医療を支援できる場所をつくろうと地域医療科を設立しました。メンバーのほとんどが自治医科大学の卒業生で、臨床研修期間中の若い先生も在籍しています。

自治医科大学の学びの魅力は地域医療実習が豊富なこと

 私が医師を志したのは、中学時代に同級生から「自分は医者になって世界の恵まれない人を助ける。だから君も医者になれ」と言われたのがきっかけで、その頃から医師を意識するようになりました。自治医科大学は父親から勧められ、へき地医療に抵抗はなく逆に面白そうだと思ったほどです。

 自治医科大学には日本全国の地域に出向く実習などが多く、地域医 療の魅力をたくさん教えていただきました。また、県人会の存在はとても大きく、特に宮崎県人会は昔から結びつきが強くて、毎年夏に1~5年生の自治医科大学生10数名が宮崎のへき地に集まり、県人会主催で地域医療実習を行うなど、学生時代にへき地医療を経験できたのは貴重でした。これらのことが3年目の若い医師としてへき地に赴任した際にやっていくことのできた大きな原動力となっています。自治医科大学の卒業生は、専門分野のみならずさまざまな分野で活躍されている先生が多くいますが、それは地域医療で培った総合的な力がベースにあることが大きな強みとなっているからではないでしょうか。

「医師は地域で育てられる」 その言葉を実感した若手時代

 義務年限中の3年目にへき地に赴任していた時のことです。上腹部痛の患者さんに胃カメラ検査をしたところ異常はなかったのですが、症状が続いて数時間後に心筋梗塞だったことが判明しました。急いで専門病院に搬送したことで患者さんは無事でしたが、危うく命を失ってもおかしくない失敗です。しかし、患者さんからは「先生のおかげで助かった」と感謝され、看護師長さんからも前向きな言葉で励ましてもらい、「医師が地域で育てられるとはこういうことなんだ」と今でも鮮烈に覚えています。

 また、へき地の病院ではさまざまな症例の手術を経験できる一方、外科医としての手術の経験症例は少なくなります。そこで、外科として後期研修を受けた自治医科大学附属さいたま医療センターでは私と同じような境遇だった卒業生の先生方に配慮していただき、集中的に手術を経験させてもらいました。このことは外科医として自分を大きく成長させてくれました。

地域・へき地医療の貴重な経験が地域医療マインドを育んでくれる

 医師として「地域医療マインドを持った専門医であること」を心がけています。ありふれた言葉では「人を診る」というものですが、病気だけではなくその人の背景、人生、幸せを考えるようにしています。そのきっかけは祖母でした。私がへき地に勤務していた時に当時70 歳だった祖母の膵腫瘍が見つかり、大学病院からは切除手術を勧められましたが、私なりにいろいろ考えて手術を受けさせない判断をしました。大学教授からは厳しい言葉をもらいましたが、結果的に祖母は手術を受けることなく、ひ孫と楽しく触れ合いながら90歳まで生存しました。今でも同じ判断をするかはわかりませんが、当時は祖母の幸せを考えた判断で今でも間違っていなかったと思います。このように考えられたのは、へき地医療に従事し、患者さんだけでなく住民と深く触れ合う中で、自然と病気だけでなく人を診る意識があったからです。私にとってこれが「地域医療マインド」であり、地域医療、ヘき地医療の現場でないと得られない貴重な学びでした。今後は、自治医科大学の卒業生だけではなくほかの若い先生方にも地域医療、へき地医療を経験してもらい、人を診ることを学んでほしいと思っています。 そのためには不安なく地域医療に従事できる環境が必要ですので、そのバックアップ拠点として地域医療科をさらに充実させたいと考えています。

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