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地域医療の経験を活かして(奈良県の歴史と現在)

吉本清巳

奈良県立医科大学 総合医療学(奈良25期)

吉本清巳 奈良県

奈良県25期卒業の吉本清巳と申します。奈良県の地域医療や卒業生の現状、私自身の経験を紹介させて頂きたいと思います。
私の父は奈良県山添村という山村へき地診療所で、地域医療を25年して引退しました。私が小学校1年生の時に父が山添村に赴任し、私は田舎で育ち、夜中に往診に行ったりする父の姿を見て育ちました。1996年、高校3年の時に奈良県で初開催となった自治医大の大学説明会で、奈良8期生の武田以知郎先生が講演され、その魅力に魅かれ、自治医大へ入学を決意しました。
我々が学生の時代は、多くの卒業生も教員となっておられ、学生教育の中で地域医療や総合医療を学ぶ機会も多くあり、自然と、元々の志望通り、地域医療、総合診療の道を志すようになっていました。ただ、他大学では、まだ地域医療、総合診療に学生時代に触れる機会は少ないように感じました。
卒業し、医師となり、初期研修、中核病院での研修の後、医師4年目に念願の地域医療に従事することができました。奈良県内で一番ハードである十津川村小原診療所に志願して赴任させて頂き、家族と住み込みで地域医療をし、大変でしたが非常に充実した時間を過ごさせて頂きました。当時は地域医療といえば、その地域を健康にして、医療費を下げるという活動をされた先生方の業績がよく紹介される時期でした。自分もそんな地域医療をしたいと思い赴任したものの、十津川村の医療費は、県内の市町村の低い方から3番目でした。へき地過ぎて医療に恵まれないため医療費が低い、という現実に、一概に医療費が低いことが良いというわけでは無い、ということを知りました。“そこ”で、医療をする、という事自体に意味があるという事を知りました。当時救急隊のなかった十津川村で2年間の365日24時間オンコールのような生活は、地域に役に立っていると実感する一方で、期限付きでないとずっと続けるにはつらいと感じました。その後、小原診療所は医師2人に、そして3人になり、救急隊も配備され、体制は改善されました。

奈良県は我々25期生までは、2年間の初期研修後、全員3年目からへき地一人診療所に勤務する体制でした。そこで、当時へき地医療支援部長だった2期生の中村達先生に、3年目に中核病院である五條病院での研修をしたいとお願いしました。当時、自分達で、他の家庭医療プログラムなどを参考にハーフデイバック方式の診療所研修を取り入れたり、他科研修を取り入れたりし、2005年から3年目の研修が開始されました。

十津川村勤務後、2008年の医師6年目に、奈良医大の総合診療科で後期研修をしましたが、当時は個人での総合医の指導者はおられず、各科から指導医の先生が来られていて、科として総合診療、という体制でした。過渡期ではあったと思うのですが、今でいう病院総合診療という内容にはまだ物足りなかった印象でした。

25期生から3年目研修を導入したため、本来25期生が3年目に行くはずだった年に、へき地に行く医師が減ってしまいました。結果、へき地の医師が足りなくなり、同期3人のうち1人、後期研修2年のところ、1年で切り上げてへき地勤務をして欲しいと言われました。私は地域医療がしたかったので、進んでへき地勤務を選びました。

2回目のへき地勤務は奈良県曽爾村の診療所でした。曽爾村は十津川村より都市部に近く、救急はあまり多くありません。一方で、家族力・介護力はあるので(家族も都市部に通って仕事ができる)、在宅医療をかなり経験させて頂きました。十津川村が離島医療的な経験ができるのに対し、曽爾村は家庭医療的な医療を経験することができました。私自身も奈良市から通勤しました。

赴任後、医師7年目の私に、診療所の立て替えという大仕事がやってきました。県内県外も含め、たくさんの診療所を見学させて頂き、スタッフとも行政ともたくさん話し合い、電子カルテも導入し、とても機能的な診療所を建てることができました。私の義務年限の最終年、曽爾村3年目の10月に新診療所は完成しました。その年に、へき地の人員が足りないので、義務明け後もう1年勤務して欲しいと打診があり、喜んでお受けしました。

曽爾村の医療は、家庭医として、人を診る、家族を診る、地域を診る、を実践でき、非常に充実した4年間でした。診察室に入って来られ顔を見るだけで、病気の事、ご家族の事、いろんなことがすぐにわかり、表情を見るだけで今日の体調がわかるような、まさにかかりつけ医としての診療ができました。ご家族に見守られながら、人生の最期はこうありたいな、と思えるような在宅看取りを初め、その人、家族をサポートするような、他業種と連携した在宅医療をたくさん経験することができました。本当に医師として充実した時間を過ごすことができ、成長させて頂きました。

奈良県は、へき地診療所は、義務年限内の医師で交代で回っています。私が長期残ることを希望することはできたかもしれません。でも、自分自身が成長したこの環境を多くの若い先生に経験して欲しいし、自分自身もまだ若いので環境を変えて成長しないといけないと思い、延長は希望しませんでした。
私は最後の1年が村職であったこともあり、村の職員の方と同じように送別の会に呼んで頂きました。引継ぎ直前は忙しくて感傷にひたっている暇はなかったのですが、最後の患者さんを診た後、予期せず涙が出てきて止まらなかったのが、自分でも驚きでした。本当にやりがいがあったのだなあと思いました。

では、なぜ、そこまでやりがいがあった地域医療から離れたのか。

父の医療をみながら、自治医大の先輩方の医療をみながら、奈良医大の学生を受け入れながら医療をする中で、やはり自治医大以外の大学では、へき地医療、地域医療、総合医療の実際を学生に伝える場が少ない、伝える人がいないのではないか、と思うようになりました。
一時期は奈良県のへき地医療を充実させたい、と思う時期がありましたが、自治医大の卒業生、奈良の地域枠の卒業生は熱心です。そして、奈良県のへき地は南部がほとんどで、対象人口は、1万5,000人程度です。その人口に対して、へき地志望の医師を何人も育てることが、答えではない、と思うようになりました。一方で、へき地の診療所から、何件も都市部の病院に紹介を断られることが良くありました。

奈良県全体の医療が良くならなければ、へき地医療だけが良くなっても意味がないのではないか、と思うようになりました。自分が経験してきた医療の良さを若い先生が研修したり、この良さを他科に進む学生であっても、伝える、知ってもらうことが大事なのではないかと思うようになりました。

へき地で、学生を受け入れながら、当時は、地域医療の良さを伝えても、奈良医大でその進路に進みたい
人がいても選ぶ選択枝がありませんでした。

私は、なんとか、奈良医大での家庭医療後期研修プログラムの作成をしたいと思いました。そして、曽爾村勤務終了後、医大に戻りました。ちょうどその頃、その後教授になられる5期生の西尾健治先生が総合医療学の准教授になられました。へき地と小児科と三次救急のキャリアを持ち、自身が総合医である指導者が総合医療学に初めて来られました。西尾先生と協力し、2013年奈良医大での家庭医療後期研修プログラムを開始しました。決して多くはないですが、現在まで自治医大以外の2名の家庭医療専門医を輩出し、現在も毎年専攻医が在籍しています。

この基盤がなければ、奈良医大での新専門医制度の、総合診療専門医のプログラムは実現できませんでした。新専門医制度でも総合診療を専攻してくれる専攻医が毎年在籍しています。
国家試験でも総合診療領域、地域医療、介護領域の問題も多く出るようになっています。4年生で総合診療の講義があり、5年生で病棟実習があり、卒業試験でも総合診療があります。2018年からは在宅医療の講義も始まりました。卒業するまでのカリキュラムの中で、総合診療という分野がある、というのが自治医大以外の医学教育にとっても普通になってきているのは、大きな変化なのだと思います。

私は、大学での教育の道を選びましたが、2期生の中村達先生と、24期生の明石陽介先生が、南奈良総合医療センターで、奈良県南部を支えるシステムを作ってくださいました。中核病院が弱体化していく中で、市町村が協力し合った医療組合をつくり、3病院を統合して、急性期医療と在宅医療や地域医療を充実させた病院が発足し、その立ち上げに関わられました。「南和(奈良県の南部地域の事)の医療は南和で守る」の目標のもと、本当に断らない医療を実践されるようになりました。へき地診療所へのバックアップ体制、教育体制も整えられました。

自分達の代で始めた3年目の研修が、五條病院でプライマリケア学会の家庭医療後期研修プログラムになり、そして、南奈良総合医療センターになっても続き、新制度の総合診療専門医のプログラムに続いています。自治医大の卒業生でも、義務年限内に専門医制度に乗れるように制度を整えてくださいました。また、他の科を専攻することも可能になるようにも動いてくださいました。

地域の病院や施設、診療所で地域医療に貢献されている1期生の岡山裕行先生、越智祥隆先生、相良洋三先生をはじめとして奈良県の卒業生は、幅広く活躍しています。

在宅医療を幅広くされている7期の加藤久和先生、明日香村診療所の8期の武田以知郎先生は、奈良県から「奈良のお薬師さん大賞」という地域医療に貢献された医師に贈られる表彰を受けておられます。へき地では、十津川村で長く地域医療をされ現在柳生診療所の9期の島正幸先生、十津川村小原診療所に義務年後に常勤として入られた27期生の巳波健一先生、29期生の神戸大介先生、へき地以外でも、開業されその地域の医療、在宅医療に貢献されている先生もたくさんおられます。今は移動されましたが、12期広島の藤原靖士先生は月ヶ瀬村、13期愛知の松島俊裕先生は山添村で長くへき地医療をしてくださいました。

奈良医大ペインセンターの病院教授18期渡邉恵介先生のように、医大病院や県立病院、地域の病院の各専門科で活躍されている先生、3期吉井尚先生、6期齊藤精久先生、志野佳秀先生のように地域の中核病院の副院長をされて地域に貢献されている先生など、地域医療を経験した卒業生が様々な場所で活躍しています。また、地域医療振興協会の市立奈良病院は、奈良県北部の重要な病院であり、奈良市だけでなく北部のへき地医療も担い、管理者の大阪12期の西尾博至先生、16期の循環器内科の堀井学先生をはじめとして、多くの卒業生が活躍しており、奈良県にはなくてはならない拠点病院となっています。

さらに、私が大学病院に戻って衝撃だったのは、世界の医療に貢献されている卒業生がおられることでした。奈良医大には、総合医療学の西尾健治教授、輸血部の12期松本雅則教授、小児科の13期野上恵嗣准教授、疫学・予防医学の22期佐伯圭吾教授がおられます。

西尾先生は、救急出身で奈良県のDMATの総括をしておられ、東日本大震災だけでなく、パキスタンやパプアニューギニア、カンボジア、スリランカなどの医療支援にも行かれています。松本先生は、今やTTPの標準検査となっているADAMTS13の研究でベルツ賞(中尾喜久先生、高久史麿先生が受賞されている賞です)を受賞されておられます。

野上先生は、血友病が専門で、今まで毎日静注していた血液製剤を、週1回の皮下注で済むバイスペシフィック抗体(二重特異性抗体)を開発され、The New England Journal of Medicineの原著論文を書かれています(N Engl J Med 2016; 374:2044-2053)。血友病の方は、血圧などでは私の外来に来られるのですが「本当にこの製剤のおかげで劇的に治療、生活が変わった。治験の最初は半信半疑だったけど、本当に効果が実感できて、週1回で良いなんて夢のよう、今では無くては考えられない。」と感激しながら私の外来で話されています。

佐伯先生はコホート研究(The HEIJO-KYO study,The CHRONO study)をされており、サーカディアンリズムの研究で、温度変化や環境変化でおこる死亡理由を解明され、冬の過剰死亡を減らすための研究をされています。奈良医大の中でも非常に若い教授の一人です。

また、20期の奈良医大整形外科の小川宗宏先生は、膝が専門でスポーツドクターもされておられ、コンサドーレ札幌、サッカー全日本U-17代表のチームドクターをされ、ワールドカップに挑戦している選手のサポートをされています。AFC(アジアサッカー連盟)U-16選手権マレーシア2018の優勝にも貢献されています(大会HPの集合写真に写っておられます)。小川先生とは義務年限中に同時期にへき地勤務をしていましたので、その先生が、そのような活動をされていることに、驚きと感動を覚えています。

まだまだ、若い先生方もこれからも活躍してくれそうな気配があり、地域医療の経験を活かして、活躍できる場がたくさんあると感じています。

リレーエッセイということで、奈良県の歴史と現状を書かせて頂きました。今後も全国で自治医大の同窓生の活躍を期待しております。

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