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同窓会会報から 阿江竜介(兵庫県)

同窓会会報から 阿江竜介(兵庫県)

読み書きできない医者

自治医科大学 地域医療学センター
公衆衛生学部門 阿江竜介(兵庫26期)

へき地で働いていた頃の私は、論文が読めなかった。学会発表もできなかった。論文を読んだり学会で発表したりする「機会がない」という意味ではない。単に「能力がない」というのが本当の理由だった。「学会に行く」と言えば聞こえは良いが、実際は友人と酒を飲むためだけに学会に参加していたのが真実である。他人の学会発表をあまり真面目に聞いていなかったし、そもそも真面目に聞いても充分に理解できなかった。医者(科学者)として、まともに「読み書きできない」自分がそこにいた。

「本当は自分もそうなんです」と思った卒業生は意外に多いのではなかろうか。実際のところ、論文をまったく読み書きできなくても、医師免許と医学知識さえあれば医者をやっていける。それがこの業界の真実だ。患者と豊かにコミュニケーションできる(話す)能力さえあれば、世間一般からは「良い先生」と呼ばれるに違いない。だが、業界内での評価はどうか。たとえば読み書きできない医者が、若い医者たちの指導者として「良い先生」と呼ばれるだろうか。自分自身が読み書きできなければ、他人を指導できるはずもない。もし自分が読み書きできないことが若い医者たちにバレると、けっこう恥ずかしい(ダサい)のではなかろうか。もし世間一般の人にバレたなら、ダサいだけでは済まないかもしれない。話す能力は、医者にとっての必要条件ではあるが十分条件ではない。話す能力だけに頼り切って読み書きの訓練を疎かにすると、年をとってから恥ずかしい思いをする。義務年限の後半あたりから私はそう思うようになった。

「毎日の臨床が忙しいのに学会や論文で発表する時間なんか無い(だからやる必要もない)」とか「学位なんか取っても日常診療に何の影響もない(だから取る必要もない)」とか「専門医なんか取得しても給料は上がらない(だから取得する必要もない)」とか、読み書きできない医者に限ってこういうネガティブなことを口走っているように思う。読み書きの訓練はけっこうツラい。だから、臭い物にフタをしたい気持ちはよくわかる。私も以前はそうだったので。だが、本当にそれで良いのか。結局、損をするのは自分自身だ。逆に、読み書きを疎かにしない医者ほど、後輩たちに対して積極的に学会発表や学位の取得を薦めている印象がある。

学位や専門医などの「業界資格」は、読み書きのハードルを越えてきた証になる。業界資格を持ってない医者に対して「その資格はどうやって取るんですか」と尋ねる人はいない。業界資格の取り方は、ハードルを越えた者だからこそ他人に伝授することができる。だから、業界資格を取る意義は、自分だけのためでなく、それを目指す後輩たちのためでもある。読み書きのハードルを越えるごとに、正しい知識を読み取る力、書いて伝える力、延いては「思考力」が養われてゆく。今の私は、後輩たちから「ダサい」と思われたくない一心で、ツラい読み書きにも挑戦している。